「良いと感じる香り」が「健康に良い香り」とは限らない。~嗅覚センサーを見直そう(3)~
ここ2年、生活圏に人工的な強い香りが流れ込み始めた。地方だから遅れているのかもしれない。この現象、都会では、もっと前からあったことだろう。
洗剤の香りに、健康への危機感
以前書いたように、マイクロプラスティックの海洋汚染をひとりの行動からでも減らすことができればと、化学繊維の使用率を減らしている。
毎冬使っているブランケットはアクリル混の綿なので、これからも何度も洗うものだからと思い、昨秋、オーガニックコットンのタオルケットを注文、クリスマスの日に届いた。
ところが、開封してみると......強烈に洗剤臭い。
何のための、ノンアクリル?
洗濯によって流れ出るであろう、香りのカプセルと、微細フリース。どちらのマイクロプラスティックが、環境負荷は高いのか。
ショップは2度目の利用。海外メーカーの品だ。
洗剤の、においだけが問題なのではない。わたしの場合、口の中が苦くなり、喉が腫れた感じになって、少し息がしにくくなる。気道閉塞感は、その場から離れても、数十分~1日続く。
この症状は、3年前に、現事務所兼住居をプチリフォームした際、油性塗料使用の阻止に失敗し、VOC(十中八九、有機溶剤に含まれていたキシレン。厚生労働省/職場の安全サイト/キシレン)に曝露した時の症状の、軽度なものだ。
わたしの嗅覚は、洗剤の臭いに潜む、健康へのリスクを、警告している。
こうした香りの影響について、情報が増えつつある。
たとえば、ITMediaビジネス ONLiNEのこの記事。困っているのはごく少数、というわけではなさそうだ。
「香りによる体調不良「香害」、6割超が経験あり」(ITmediaビジネス ONLiNE、2018年06月06日、[中澤彩奈,ITmedia])
回答者が調査元に好意的な層であるかもしれないことを考慮したとしても、香りによる困難の経験者が少なからずいることは確かだ。昨今のネット上の投稿、たとえばお下がりやリサイクルショップで購入した衣類に付いてきた香りに困惑している声を読めば、さもありなんとは思う。
問題は「香り」の好き嫌いのみにあらず。
洗剤の香りを好きな人もいる。個人の趣味嗜好の問題ではないか、という向きもあろう。
いや、こと洗剤と柔軟剤に関しては、個人の趣味の問題では済まないのである。
考えるべきポイントを整理してみたい。
- 香りの好き嫌い
- 香り物質へのアレルギ―
- 香り物質を包んでいる物質へのアレルギー
(1) は個人の嗜好の問題だが、(2) と(3) は医療の問題だ。
たとえば、ソバの香りが好きでソバ打ち職人になったのに、アレルギーを発症して、食べることもできなくなった、という人の話を耳にしたことのある人もいるだろう。特定七品目が大好きなのに、給食をたべられない児童もいる。それと同じだ。
香りが好きならば問題が生じない、というのであれば、タバコの香りが好きなヘビースモーカーが、COPD(慢性閉塞性肺疾患)になったりはしないのである。
嗜好と、アレルギ―は、別の問題だ。ごっちゃにして話し合うと、水掛け論になる。分けて考える必要がある。(「アレルギー」ということばを使うことには賛否両論あるだろうが、本稿では、言葉の定義や機序の正確性よりも、伝わりやすさを優先する。アレルギーといえば、「異変が生じたのは、身体によくないものを取り入れたため」というイメージを持ってもらいやすいからだ。)
香りが好きで健康問題の生じていない人も、明日は、我が身かもしれない。そのうち「大好きな香りだったのに...なぜ?」という人が現れる。
リラックスさせたり気分をあげる「心に良い香り」が、「身体に良い香り」であるとは限らない。有機溶剤と同じ症状を引き起こすものを、香りが好きだから良いものだとする感覚は、合成着色料の鮮やかな色を、カラフルで食欲がわくから良いものだ、と思う感覚に似ているかもしれない。それは、錯覚ではないのか。
(2) と (3) も分けて考える必要がある。
人為的に合成された香料、従来は触れることのなかった物質に対し、アレルギーを生じる人がいることは想像に難くない。
では、アレルギーを生じない香り物質をカプセル化したらどうなるのか。
香りが好きでも嫌いでも、香り物質へのアレルギーがあろうがなかろうが、香り物質を包んでいるカプセルの物質にアレルギーのある人には、影響があるだろう。これは、香水や香木と根本的に違う点だ。
たとえば、サプリメントで考えると、わかりやすい。サプリメントの成分には反応しなくても、カプセルの成分が合わない人もいる、というのと同じである。中身と殻が異なる物質ならば、どちらか一方にアレルギーを持つ人、あるいは両方ともダメな人がいても不思議ではない。
厄介なのは、サプリメントと異なり、香りカプセルの粒は小さすぎるという点だ。中身と殻のどちらの物質に反応しているのかを調べたくとも、一般消費者が扱うのは難しい。
もし、無香の物質をカプセル化したら、どうなるか。はたまた、何も入れないカプセルだけなら、どうなるか。
臭いで判断して避けられないぶん、リスクは増す。四六時中、見えない敵に囲まれるストレスに晒されることになる。臭いで気づくことができないために、突然、呼吸困難ということが起こらないとも限らない。
香水との決定的な違い。拡散する移香と、頑固な定着。
前述の3つの問題とは別に、厄介な問題がある。
分煙ならぬ、分香が不可能だということだ。
(1) n次移香する。
まず、臭う範囲が広い。風向きによっては、数十メートル先からでも臭うことがある。香水や煙草よりも遠方まで届くようだ。
さらに、これが最も厄介なことなのだが、n次移香する。すれ違っただけ、袖触れ合っただけ、臭いのついた品物に触れただけで、二次移香、三次移香...していく。拡散範囲は無制限だ。分香ができない。二次移香、三次移香した品物により、空気のきれいな田舎にまで臭い物質が入り込む。輸出入により、国境すら、やすやすと超えてしまう。
(2) 香り物質をカプセルごと除去する方法がない。
前述のタオルケットは、4日がかりで9回洗って無臭になったが、顔を近づけると、まだ少々気道閉塞感が生じる。仕方なく、密閉して保管している。香り物質だけでなく、それを包むカプセルの物質に、反応しているのかも(?)しれない。
それ以外にも、この2年間、ネットショップで買った4点の商品に、洗剤臭がついてきた。3点は3回洗って着られる状態になったが、のこる1点はお手上げで、これも密閉して保管中だ。
先日、所用で出向いたあるオフィスで、着席して数分話したところ、前に座った客が香り付き洗剤のパワーユーザーだったようで、アウターとボトムスとバッグに移香。洗濯したが、いまだバッグ持つたび、持ち手についた臭いが手のひらに移香するのには、閉口している。もう一度洗濯しなければならない。
布製品なら、洗濯するという方法がある。だが、紙製品は、それができない。
ATMですさまじい洗剤臭がしたので、出所を探ると、引き出したお札。洗剤のパワーユーザーの客からの移香であろう。
一刻も早く手放したくても、巡り巡って化学物質過敏症の人の手に渡ってしまうと、間接的な加害行為になってしまうため、安易に使うことができない。
厚手の凹凸のある紙封筒に入れて保管し、封筒の隅を持って毎日数回1カ月間振り続けてみた。すると、臭いがとれて、使うことができた。封筒は可燃ごみの日に捨てた。
においの出所がお札だと特定する前に、うっかり財布に入れてしまったものだから、財布に移香。災害非常時の予備費を入れていた、ほぼ新品のPorterが、素手では触れることもできなくなり、封筒に入れポリ袋で密閉して保管中だ。(twitterに、こんな写真を見つけたのだが、もしこれらの粒がマイクロカプセルであるならば、なんという数。完全に除去するのは難しそうだ)
契約書から洗剤臭。担当者は無臭。なので、担当者ではなく、担当者が接した洗剤ユーザーからの2次移香。保管しなければならないが、洗えない。プラスティックの書類ケースに密閉。
レシートや領収書が、鼻を近づけなければわからない程度の微かな臭いを発していることがある。1枚では微かでも、何枚も仕分けして入力すると激しく手に移香。軽く洗ってティーカップを持つと、紅茶の香りを打ち消す洗剤臭。臭いが落ちるまで、せっけんで洗うこと数回。
お札→財布→バッグ、書類→ファイルケース→ラック、という「n次移香」によって、においの範囲は拡大しており、これではラグや寝具に移香するのも時間の問題だ。ラグに移香したら、取り除く方法はない。
訪問者が香り付き製品のユーザーだったり、あるいは移香した服を着ている場合、短時間の滞在でも、屋内に香りが定着する。配達人の場合、玄関先の数秒の応対で、玄関に香りが遺る。
応接間で訪問客と対応すれば服に移香し、その服を洗濯すると、洗濯槽に移香する。洗濯槽から、その後で洗濯した衣服に移香する。わたしの感覚では、もっとも移香しやすいのは、洗濯ネットと、くず取りネットだ。これらを取り換えれば、移香は軽減できる。
困ったことに、訪問者が、洗剤を控えたり、あるいは使用を中止したとしても、すでに何回か香り付き製品を使っていると、着衣や持ち物、自宅内の調度品に香り物質が付着しているので、なかなか臭いは消えない。長きにわたり、臭いのインフルエンサーになってしまう可能性がある。
室内に残る香りカプセルの除去は難しい。
前述の有機溶剤暴露の際に購入した、キシレンのフィルタリング機能を持つ空気清浄機(ダイキンのストリーマ TCM80R-W)をターボ運転し、窓を全開にして、半日。拡散する範囲にある備品の拭き掃除も行うと、かなり除去できる感がある。香りカプセルのひっついたハウスダストごと吸い込んでいるような。
それでも、ゼロになるわけではない。小さすぎて見えないだけだ。それに、窓全開により、室内の香りカプセルは減っても、屋外には拡散している。たまたま現住居が事務所用として借りた物件で、隣近所とは距離があるから、可能なだけである。居住用物件で窓を全開にしようものなら、ご近所さんに臭いを押し付けてしまうことになりかねない。
我々が直面している、ふたつの課題。
今後、香りに困っているひとびとの訴えが功を奏して、安全で、移香せず、一度の水洗いで香りをリセットできる、そんな洗剤や柔軟剤が登場したとしよう。
それでも、従来製品の影響は残る。
ひとつは、責任の所在だ。
香りカプセルが小さすぎて、スマホのカメラでは撮影できない。測定器を、一般人が入手して使うことは困難だ。
また、規定量以上の使用や、洗濯後の後付けによる香り付けという、誤った使い方をしている一部の消費者が、臭いを拡大させている面もある。
これでは、健康被害が何次移香によって生じたのかを明らかにできない。
重篤な症状により退学や退職をした人々は、いかにして因果関係を証明し、誰に対して責任を問い、逸失利益に相当するだけの救済措置をもとめることができるのか?
ふたつ目は、香り物質の完全な除去技術の確立だ。
大気中へ、洗濯によって海へ、流れ出た香り物質は、回収できるだろうか?
下水処理場をすり抜けて、海洋へ達し、食物連鎖に組み込まれてしまったら、どうなるのか?
漁場や、洗剤など使わない国の人々の美しい海にも、流れ着き漂うのではないだろうか。
計算機は創造に邁進し、真のヒトは創造を抑制する。
つきつめれば、問題は「香り物質」そのものにはない。
「アイデアは、すべからく、できるだけ迅速に、目に見え手に触れる形にすべき」という価値観にある。
どのような技術も、使用目的や、使用者の倫理観によっては、人類にとって、メリットになることもあれば、デメリットとなることもある。
だからこそ、新しい技術を商業利用する前に、長期的なベネフィットとリスクの比較検討が、じゅうぶんになされなければならない。
「ナノレベルの特定の化学物質を」「肉眼では見えないサイズのカプセルに閉じ込めることによって」「既存の防御手段を容易に無効化し」「誰も気づかぬ間に」「ヒトやモノをトランスポーターとして」「拡散して」「除去不能なほど強固に定着させる」。このような前代未聞の技術については特に。
この社会では、「行動した方が良い」「作った方が良い」「発言した方が良い」「宣伝した方がよい」「売れた方が良い」「評判になった方が良い」「利益を上げた方が良い」ことになってしまっている。「何かをすること」ばかりが尊ばれ、「あえて何かをしないこと」は忌避される。
「形にしたくても作らない」「言いたくても言わない」、処理を停止すること、出力を抑制すること、短期間で資源を使いすぎないこと、その重要性が、忘れ去られがちになっている。 フットワーク軽く、作ったもの勝ち。勝つためには、つくったほうが良いかどうかを検討する前に、できるだけ早く世に出すしかなくなっている。立ち止まってはいけない。一呼吸置いたら出遅れる。大量に作る。どんどん売る。営利目的の企業が、そうせざるをえないのは、無理からぬことだ。
AIとロボットが席巻する社会になって初めて、我々は立ち止まるのだろう。
ヒトは計算機に、処理し、作り、語る、出力を期待している。動かないこと、作らないこと、語らないこと、を、もとめはしない。
それまで、我々は、生み出し続けるサイクルを肯定し、ヒトよりも大量且つ高品質なモノを作り出すロボットを、手放しで称賛するのだろう。
短期的報酬を生む活動ではなく、長期的視野に基づく抑制こそが、ヒトをヒトたらしめる要素のひとつであるにもかかわらず。
いや、AIの方が長期的視野を獲得し、「それ、世に出したら、まずいんじゃない?」と、判断するようになるのかもしれないが。