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ヴィジュアル、サウンド、テキスト、コードの間を彷徨いながら、感じたこと考えたことを綴ります。

Fukushimaが我々に問うもの。

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昔、エンジニアリング会社に勤めていた頃、回路図を見ていて、ふと思った。
ひとつの製品を構成する各基板、POWERやTIMER、CAPSTAN CYLINDER MOTORなどの回路に比べ、SERVO(制御)の回路は複雑なのだ。ああ、人間も、同じかもなぁ、と。

原発問題が我々に問いかけているのは、事故をいかに収束させるか、次世代をいかに守るか、老朽化した原発自体をどうするか、といった問題だけではない。

生き方、という漠然としたものではなく、そのベースになる、「自らの脳をどういう方向に進化させたいのか?」が、問われている。

これまでは科学者や技術者に、税金を納めて間接的に予算を渡すだけで、「科学技術の進化」を丸投げしてきた。
今度は、我々は、「人間の進化」を、自分の意志で選んで実行する番だ。
「~だったらいいよね」「~すべきだ」と言うだけではなく、実行するのだ。

それはきっと、SERVOの、進化だ。

極端な浪費か、極端な節約か、ではない。
電気を存分に使うか、全く使わないか、ではない。
オール・オア・ナッシングは、対立しか生まない。
そこそこに消費し、そこそこに抑える、生活。

バランスを維持し続ける、制御機構の、進化。
(もっとも、それが困難な人もいるので、そこは家族や友人がサイドブレーキを引くということで)

人間においても、SERVO機構は、きっと複雑だ。それは、難しいことだろう。
だが、難しいだけに、やりがいがあるというもの。挑戦のしがいがあるのではないか。
日本人は、その挑戦に、勝利することができるにちがいない。

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