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開けてしまったらあふれ出すテクノロジー。そこには希望が残っていた!

あけましておめでとうございます

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あけましておめでとうございます。

ご存じの方は多いと思いますが、私にとって2010年は特別な年でした。その2010年が終わり、あらたな期間に入ったとも言えます。今年は「始」という文字をテーマに、私にとって新たな時代に突入しようとしています。

さて、2010年、最初のオルタナブログは、またまたお金の流れについて述べてみたいと思います。私が書くのですから、当然ソフトウェアに関することです。

中間業者がソフトウェア開発者にお金を支払う」というものです。

私がITの職業に就いたのは24年前(1987年)。メインフレーム全盛時代です。その頃、ソフトウェアは「システム」という単位の商品の一部でした。その当時、IBMが販売していた「システム」の主力なものは「システム370」と呼ばれるものでした。主要なソフトウェアの多くは「システム」と呼ばれる製品の料金の中に含まれていましたし、ソフトウェア単体で購入するようなものは「フィーチャー」と呼ばれる「ハードウェアの付属品」という考え方でした。当然、システムを購入し、利用する、システムの最終利用者(企業)が、それに対して対価を支払っていました。

1995年くらいから、ソフトウェアだけのビジネスが急速に立ち上がりました。このビジネスの考え方は「ソフトウェアを利用する人から『利用権』という形で料金を徴収する」というしくみです。ここで登場したのが「ライセンス料金」と言われるしくみでした。ソフトウェア=知的価値というような考えから、特許と同じ「ライセンス」という方式を適用したもの、と思われます。このときも、最終利用者が、ソフトウェアの対価を支払っていました。

このように変化した「ソフトウェア」に対する対価の支払い方式。ここに、この10年ほどでまた新しいものが登場したと思います。

インターネット、とくにオープンソース、またはWeb 2.0やクラウドの発展によって、多くのソフトウェアの利用が「無料」となってきています。しかし、(少なくとも、私のまわりにいるクラウド系ソフトウェア・エンジニアでは)そういった周辺で活動するソフトウェア開発者の給与は逆に向上しています。旧来のエンタープライズ系のソフトウェア開発者が3K、5K、7Kといった悲惨な作業環境で働かざるを得なかった時代に比べれば、高収入を得られています。これはどうしたことでしょう。

この考え方は、ソフトウェアだけでなく、ネット上で流通するデジタルデータの多くのものに適用できると思います。音楽、画像、映像、ニュース、もしかしたら文章。そういうものの多くが、この考え方の変化になんらかの影響を受けているのではないか、と感じます。

インターネットで手に入れられる多くのものが「最終的には無料である」ということに社会が強く反応しています。これが市場を活性化しています。インターネットの周辺では「最終的な利用は無料」ということがとても重要なのでしょう。しかし、それを支える供給元(ソフトウェアであればソフトウェア開発者)には、大きな報酬が必要となります。これを支える仕組みが必要なのだろうと思います。

「どのソフトウェアが素晴らしいか」「どのコンテンツが素晴らしいか」「どのクリエイター(開発者)に対して対価を多く支払うか」を決めているのは、消費者と供給者の間に入っている中間業者であり、直接的な関係を仲介するものではなくなってきているのかもしれません。

ここでいう中間業者は「システムを納入するSI会社」という意味ではありません。ソフトウェアを最終利用者に利用させ、別の事業によって収益を得る、というモデルです。

たとえば、広告収入を生業(なりわい)とする某有名企業がありますね。お金は「広告料金」という形で収集します。しかし、ソフトウェアを無料で公開し、ユーザーに利用させています。ユーザーは、「ソフトウェア利用」ということに対しては料金を払いません。しかし、ソフトウェアを開発している人には大量の対価が支払われています。価値の「流れ」がそもそも違うのです。

音楽や映像を、無料で大量に配信しているサイトがあります。音楽や映像を試聴している人はそれらに対して料金を支払いません。しかし、なにか別の方法で企業は利益を得ます。でも、制作者(著作権者)には対価が支払われます。どれくらい聴かれたか、どれくらい観られたか、どれくらい自社の事業に貢献したか。それを判断するのは最終消費者ではなく、中間業者です。

このようなビジネスモデルの変化が、音楽、画像、映像、プログラムといったソフトウェアのすべての質に対して影響を及ぼしていくものと感じました。

「視聴するときは無料」という、民放テレビのビジネスモデルに近いのかもしれません。民放のラジオ、テレビで放送されていた音楽も、レコードという形で 「所有できる」「いつでも聴ける」「音質が良い」というプレミアを付加して別売されていましたし、そこで多くの収益を得ることができました。

今日のインターネットを通した多くのデジタルデータの「別途販売」が、同様に「プレミア」を得るためには、「いつでも聴ける」「音質がよい」ということは価値として認められません。別のプレミアを見出さなければ、プレミア・ビジネスは成り立たないのかもしれません。

ソフトウェアは、「ライセンス販売」という形ではすでにプレミア価値を失っていると思います。そこで我々ソフトウェア・エンジニアは、どうやって生き残って行かなければならないか、おおきな転換期に直面していうのでしょう。

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