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開けてしまったらあふれ出すテクノロジー。そこには希望が残っていた!

ラジオの制作 2020年

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みなさんは「ラジオの制作」という過去にあった専門誌をご存知だろうか?東京の五反田にある電波新聞社(一度、私も名前が出たことがある業界新聞:えっへん)が以前出版していた電子工作マニアのための専門誌だ。読者の間では「ラ制(らせい)」と略される。実はなにを隠そう、私は小学生~中学生のころ愛読者だった。生活困窮だった我が家では、小・中学生の私がこれを毎月購入できるわけもなく、大工だった父の仕事の出入りの電気屋の「しんちゃん」が、実家に来るたびに読み終わったものを置いて行ってくれたのだ。蛇足だが、「しんちゃん」は「少年チャンピオン」も置いて行ってくれたので、「マカロニほうれん荘」「ガキ刑事」「ブラックジャック」「エコエコアザラク」とかの現役読者だった。(じゃ、あれも読んでたのね、という内容はしまっておいて)話をもどして、「ラジオの制作」は、貧乏家庭の子供にはとても貴重な情報だった。この本に載っていた回路図の電子工作を繰り返し作ったものだ。「お風呂ブザー」とか、「点滅LED」とか、「鉱石ラジオ」とか・・・・なんだ最近作ったArduinoの工作とそんなにかわらないな。

電子工作は生活困窮児童だった私にとって良い題材だった。あまりお金がかからないのだ。当時、炭素抵抗が一本5円~10円、マイカコンデンサが30円、タンタルコンデンサが80円、比較的高いのはトランジスタでYSC3751が180円くらいだったか。最初のはんだごては「しんちゃん」からもらったものだった。もっと高いのはオペアンプICとか、基盤のエッチング道具とかだったが、ユニバーサル基盤を使えばそんなのいらない。最近で言えばブレッドボードと同じだな。実家地域のとても広い川の大きな橋を渡った先に電子部品ショップがあって、そこに百円玉をポケットに入れて自転車で往復4時間もかけて買いに行っていたものだった。私にとって、新聞広告の裏に書くイラストレーション、中学校で入っていた吹奏楽部に次いで、電子工作は貧乏人でもできる趣味の一つでもあった。

このおかげか、中学1年のときはすでに三角関数も、電力計算のための簡単な微分積分は解けるようになっていた。小学6年くらいのときに、ルートも∑(しぐま)も知っていた。正弦波の電力計算などに必要だからだ。いま思い返せば、中卒くらいの「上京してきた大量採用」の時代だから、雑誌でも「三角関数てこういうことだよ」「統計ってこういうことだよ」って、今なら学校で習うようなことが専門誌に解説してあった。現役で働いている技術者が、かならずしも高校・高専・大学で教育を受けてないかもしれなかったからだと思う。だから小学生の私でも読み進めることができたのだと思う。いまなら∑なんてさ「順番に全部足す」なんだから、小学3年生くらいで教えていいんじゃね?とか思う。

その当時は、こういう「手で触れる」電子製品が身の回りにたくさんあった。ゴミ捨て場にテレビが捨ててあり、2回ほど拾ってきたことがある。「テレビ修理・調整読本」という本を手に入れてきて(その当時、いなかのスーパーの本屋にそんなものが売られていた)、バリオーム(可変抵抗器)や真空管を交換して修理して自室専用テレビとして使っていたこともある。最近は集積化が進みすぎて、コンポーネント化が進みすぎて、もうそういうレベルのものではなくなったよね。ソフトウェアとAIの関係とある意味似ている。その話はまた別の機会に。

当時の「ラジオの制作」の後半部分にたくさんの広告が掲載されていた。当時内容はわからなかったけれど「Apple II が350万円」みたいな金額で掲載されていた(ような気がする)。「ラジオの制作」で「コンピューター」という言葉を知ったように思う。もちろん、その広告の中にも「IBM」は登場していた。たぶんそこにはパンチカードのパンチャー装置やソーターなどの広告が載っていたに違いない。

つまり「ラジオの制作」は、「IBM」という3文字を知るきっかけになった本だし、それを私に与えてくれた「しんちゃん」は私の恩人なのだ。(もうご存命ではないと思う)

・・・・・で、今回なんなのかというと、「ラジオの制作」の最新刊が発行される、というのだ。

ということで、内容はともかく、ノスタルジーに浸るためにとりあえずオーダー。

時代が変わればメディも変わる。若い皆さんにも「人生に影響を与えた雑誌、記事、本」があるだろう。最近なら電子メディアかもしれない。そういうものを、ぜひ大切にしてほしいとおもう。それが「エンジニアの言霊(ことだま)」なのだ。

https://www.cqcqde.com/fs/cqohm/radionoseisaku_2020

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