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【ブックレビュー】『日本大変-三野村利左衛門伝』(高橋義夫著)

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よく朝の読書会でご一緒するマダムのご主人(大企業に勤めながらたくさん著書、訳書のあるクリエイティブな方です)に、「高木さんはつばめやの三野村利左衛門だね。」というお言葉を頂戴したのですが、恥ずかしながら不勉強で(名前だけは聞いたことがありましたが)どんな人やらまったくわからず、何かひとつ本を読んでみることにしました。

フムフム、一言で言ってしまえば、幕末から明治初期にかけての三井家中興の祖。

しかも、丁稚奉公からの叩き上げではなく、四十半ばで三井に入ったという中途採用組(当然三井同族ではない)。さらにはほぼ文盲(漢字が読めなかった)にも関わらず、三井グループ内の改革だけにとどまらず、あの混乱の明治初期に、日本の近代経済の第一歩(三井銀行、三井物産の創立)を刻んだ人であります。(5分で読める三野村利左衛門ストーリーはこちら

養子で入った油屋の仕事が芳しくないので、金平糖を作って売り歩いているシーンから物語は始まります。どちらかというと、うだつの上がらない印象ですね。

しかし、彼は以前中間(使用人)として入っていた旗本小栗家の嫡男、小栗上野介忠順の出世とともに、その能力を開花させていきます。勘定奉行などを何度も務めた彼からの情報を独自の感覚で判断し、金の為替相場で大成功を収めます。

それにより世間から一目置かれる存在になった利左衛門は、やがて三井の大番頭格(斎藤純造)に気に入られ、「三井を助けてくれ」と頼まれるわけですね。

その後、小栗上野介は革新的な幕府改革を試みながらも、時の運に恵まれず、最後は謀反の罪を着せられ非業の死を遂げます。利左衛門は三井内で出世しながらも上野介の恩を忘れず、彼が志半ばで成し得なかった政策(商社の設立など)の実現に尽力するのです。

「危ないといえば、なにもせぬほうが危なくはありませんか?」

「すべてのことは、繁を省いて簡をとれ。用事はたちどころに弁じ、重複を煩してはいけない。長幼を論じ、礼節にこだわる必要はない。年長者であっても、理のあるときには屈してはならぬ。仕事を捨ててまで礼を守ることはない。時機を失しては、なんもならぬ」

「三井組の家産は、三井組の有にして三井氏の有に非ず」

この時代には珍しい、徹底した合理主義に見えますね。情に流されずズバズバと切り込む姿勢が伺えます。漢字こそ読めないが、特に数字の計算の速さはものすごかったといいます。

またその一方、人の使い方も一流だったと。部下が後年語ったところによると、

「三野村が入って政府一般の出納御用をしたために、三井が大きくなり、したがって利益も大きくなったので、三野村がはじめてこの銀行を立てるまで、日本に私立銀行はない。三井家中興の開拓者でございます。しかしその当時、三野村を見たのは斎藤純造だから、斎藤がえらいと人がいっておりました。」

「三野村という人は、歴史で見ますと、ちょうど北条早雲でございますな。人を使役することは上手でございました。また、自分がやれるのでございますから、お前ができなければおれが行ってやるが、まあお前行ってやってみろという調子。それをやって来ると、非常に喜ぶ。それでわたくしども纏持になって、始終水火も辞せずやったほうでございます」

とあります。典型的な人たらしですが、ビジネスライクな一面との絶妙なバランスが、利左衛門を当代一流の商人、そして国を動かすフィクサーにいたらしめたのでしょう。

驚愕だったのは、利左衛門が三井で働いた期間。

彼は57歳の時に胃癌で亡くなっているのですが、たったの12年なのですね。その間に、何度も三井倒産の危機を救い、それどころか輝かしい未来への礎を築いたその手腕は、つばめやに転職して10年間ぼーっと過ごしてしまったわたくしとは、まさに月とスッポン。「どこか共通点があったらいいな」などとワクワクしながら読み始めたわたくしがおバカさんでございました(^^ゞ

しかし、45歳から三井への奉公という新しい道に入ったことを思えば、まだその年齢にさえ達していないわたくしにも、まだまだいろんな可能性はあるよね~ということにもなるではありませんか。
江戸時代に活躍した商人の話を調べてみると、意外に遅咲きの人が多いんですよね。今のようなスピード感とは違いますから、コツコツ地道に歩むことも大きな要素だったのでしょうか。

結局、利左衛門とは似ても似つかぬわたくしですが、そんな元気をもらえたことも事実。よい本と出会えました。日本史選択の受験生でしたが、個人的に弱い幕末の動き(経済中心ではあるが)もよくわかり、おもしろかったです。

(追記:三井家の家訓をメモ)

三井高利家訓
一、単木は折れやすく、林木は折れ難し。汝等相協戮輯睦(きょうりくしゅうぼく)して家運の鞏固を図れ。
二、各家の営業より生ずる総収入は必ず一定の積み立て金を引去りたる後、はじめてこれを各家に分配すべし。
三、各家の内より一人の年長者を挙げ、老八分としてこれを全体の総理たらしめ、各家主はこの命にしたがうべし。
四、同族は、決して相争う事勿れ。
五、固く奢侈を禁ず。
六、名将の下に弱卒なし、賢者能者を登用するに意を用いよ。下に不平怨嗟の声なからしむる様注意すべし。
七、主は凡て一家の事、上下大小の区別無く、これに通暁する事に心掛けるべし。
八、同族の小児は一定の年限内に於いては、番頭、手代の下に労役せしめ、決して主人たるの待遇をなさしめざるべし。
九、商売は見切り時の大切なるを覚悟すべし。
十、長崎に出でて、夷国と商売取引すべし。

日本大変―三野村利左衛門伝

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