支出の見直しは「一郎ちゃんが、おもちゃ持ってるんだから買ってくんなきゃ、やだ!」からの脱却
支出の見直しは「一郎ちゃんが、おもちゃ持ってるんだから買ってくんなきゃ、やだ!」からの脱却
昨日のブログでは、支出に大きく寄与してしまっていると思われる習慣について7つ書かせていただきました。今日はそれらをひっくるめた考え方の話から、再び具体的な話もしたいと思います。
結論から言えば、「周りの人達がしているから、自分もするんだ」という大義名分以外に、積極的な理由がなければ、全て見直してしかるべきだということです。
例えば、ある街に引っ越したとして、ご近所の皆さんの家が、みんな2から5に凝っていたとしたら、どうなるでしょうか? 遅かれ早かれその価値観に引きずり込まれてしまいそうですね。つまり朱に交われば赤くなってしまうのです。以前のブログ「ハンカチ王子:「何か持っている、それは仲間」... であれば、」でも触れた内容です。
つまり、自分自身の価値観よりも周りの価値観の方が優先されてしまうという何ともへんてこりんな現象が起きてしまうわけです。周りの価値観が大事というのは、言い換えれば、「空気を読む」ということにつながると思います。ご承知の通り、空気を読まないとKYと言われてしまいます。ただ、以上のように考えると、「空気を読む」というのは、むしろ良くない意味のように思います。
世の中を見渡してみると、周りの価値観で判断してしまっていることが実に多いです。昨日ご紹介した7つ以外に、ちょっと思いつくだけでも、
・ 高校、大学への進学
・ 結婚式、お葬式などの冠婚葬祭
・ クリスマス、バレンタインデー
などなど、他にもあると思います。進学って、周りが進学するから自分も進学するという理由以外に何か持っていれば、もう少し違った過ごし方をできたように思いますけど、手遅れですね(笑)。
学費って相当高いです。高校、大学共に私立に行ったとすると一体どれくらいの額になるかご存知でしょうか?
そのお金を元として何が違うことをした方が、もしかしたら、進学して、普通に就職活動するより、うまくいくかもしれません。
もっといえば、古くからの習慣、慣習というものも現在の社会情勢に果たして当てはまるのか? と不思議に思ってしまうものも少なくないでしょう。
これらを全てカットしてしまえば、相当な支出削減になるのではないでしょうか?
国も、税金を上げる理由として、よく「欧米並みに」とか「諸外国並みに」などと言いますが、これも上記の論調でいえば、積極的な理由がないということで、税金を上げる理由に全くなっていないということですね。
むしろ、そんなしょぼい理由が先頭に来るようでは、税金を上げる必要はないという結論にしか聞こえませんね。
P.S. ただ、ここでいう税金とは、あくまで消費税のことですね。消費税は、諸外国に比べて日本は低いので、上げてしかるべきという報道はよく耳にしますが、所得税や法人税については、むしろ、日本の方が相対的に高いわけですから、消費税についてだけ報道しても全く意味がないので、是非、税金を総括的に公平に報道していただきたいものです。