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何もせずただ立っているだけでも集団をドライブするリーダー

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リーダーは集団における個々の自発性を引き出すことが大事です。無理にドライブしようとしてはいけないのです。

圧倒的なカリスマ性でドライブしてしまうリーダーもいます。

しかし何もしなくても、ただ立っているだけで、集団をドライブしてしまうリーダーがいるのです。
 
ドイツの指揮者、ウィルヘルム・フルトヴェングラー(1886~1954)。
トスカニーニと同じ時代に活躍した指揮の大巨匠です。
 
フルトヴェングラーとの初めての出会いは音大付属高校2年生のときです。
音楽理論の授業で、作曲家の先生が、1947年5月27日のフルトヴェングラー指揮、ベルリン・フィルの演奏で、ベートーヴェン作曲、交響曲第5番「運命」を聴かせてくださいました。
 
大戦後1945年よりフルトヴェングラーは、ナチスドイツに協力したとして演奏停止処分を受けていました。しかし、非ナチ裁判にて無罪となり、1947年復活をとげます。そのときの歴史的ライブ演奏がこの1947年5月27日の「運命」なのです。
 
冒頭から度肝を抜かれました。
心をゆさぶり、激しい情熱で燃え立ち、熱い血が流れるような響き。
そして「ベートーヴェンはテンポを変えてはいけませんよ」と言われて教育されてきたことを一気に吹き飛ばした急激なテンポの変化。
心臓の鼓動が早くなるようなすごいアッチェルランド(だんだん速くする)をかけ、オーケストラがばらばらになってしまうギリギリのところで踏みとどまっている怒涛のフィナーレ。
デジタル録音になれてしまった耳には、SP録音の音は異質に感じられるかもしれません。しかし録音の古さなど関係なく、その響きの後ろから、フルトヴェングラーの狂気や慟哭が生々しく聴こえてくるのです。
 
聴いている途中、音楽に引きずり回され、感動を通り越して開いた口がふさがりませんでした。私の音楽観がこの日を境に変わりました。
「こんなすごい演奏がこの世にあったとは・・・!」
 
ベルリンフィルのティンパニー奏者、テーリヒェンが「フルトヴェングラーかカラヤンか」という本の中で語っています。
 
あるとき、客演指揮者のリハーサル中、テーリヒェンは出番を待ってスコアを見ていました。そのとき突如、オーケストラの音がまるで本番さながらのような感動的な音色に変化したのです。
驚いたテーリヒェンが目をあげると、ホール客席端の扉のところにフルトヴェングラーが立っていたといいます。
 
指揮者というのは、華やかに棒を振って、オーケストラをかっこよくドライブしているように見えるのですが、そこに立っているだけで、オーケストラの音を変化させてしまうものなのです。
「ダメなオーケストラなどない。そこにはダメな指揮者がいるだけだ」という有名な言葉があります。
これはかなり極端な表現だと思いますが、フルトヴェングラーを見ていると、そう言いたくなるのも分かるくらい彼の指揮は素晴らしいのです。
 
技術だけで言うと、フルトヴェングラーが現代の指揮コンクールを受けたら、もしかしたら第一次予選で落ちてしまうかもしれません。
でも、その深い人間性、統率力、強い主観性、表現力や指揮法から生み出される音楽は、今もって圧倒的な存在感を放っています。
 
現代の世の中で、フルトヴェングラーのようなタイプのリーダーは、なかなか存在しえないのかもしれませんね。
 
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