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神宿る左手

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「ボレロ」で有名な、フランスの作曲家、モーリス・ラベル(1875年~1937年)の作品に「左手のためのピアノ協奏曲」という曲があります。
 
第一次世界大戦で右手を失ったピアニスト、パウル・ウィトゲンシュタインのために作曲されました。
ラヴェルはもう一曲、両手で弾く「ピアノ協奏曲 ト長調」も作曲しているのですが、華やかでパリのエスプリが効いたこの曲に比べると、より音楽的に深い内容となっています。 
この曲、技術的にも難しく、思わず両手で弾きたくなってしまいます。
難しいところを右手でカバーしながら弾いた例もあったとか。
 
しかし、不思議なものですが、大変な思いをして、えっちらおっちらと左手だけで弾いたほうがその曲らしさと重みが出るのです。
これが、本当に音楽の面白いところです。
 
館野泉さんというピアニストがいます。
 
館野さんは、2001年に脳溢血で倒れ、右半身に麻痺が残りましたが、リハビリで左手は回復。4年後に左手のための作品で復帰しました。
 
右手が使えないことが分かったとき、友人から「ラベルの左手のための協奏曲があるじゃないか」と励まされましたが、
「復帰は両手でしかしない。左手の曲なんてクソ喰らえ!死んでも弾くもんか」と、突っぱねたといいます。
 
さらに言葉の自由さも失い、そして40年間苦労して積み上げてきたピアニストとしてのポジションも崩れ去り、絶望のどん底だった館野さん。
そんなある時、バイオリニストの息子さんが、さりげなく左手のピアノ小品を渡してくれました。
 
それを左手だけで何気なく弾いてみたとき、両手で弾く曲に勝るとも劣らない魅力的な世界が広がったそうです。
 
「音楽をするのに手が一本も二本も関係ない・・・!」
 
現在はちょっと聴いただけでは左だけで弾いているとは思えないような演奏で、世界の音楽ファンに感動を与え続けてくれています。
 
館野さんは右利きです。
 
40年、右利きとして訓練してきたピアニストにとって、左手だけの演奏は、想像以上の困難を伴うと思います。
館野さんの努力はもちろんですが、息子さんを始め、家族の支えがあったからこその復帰だったのではないでしょうか。
 
作曲家、吉松隆さん作曲で左手の作品を、両手で弾くかどうかということに関して、
「両手で弾けるようになっても、この作品は、左手だけで弾きます。
左手だけの方が、より表現できるからです。」
とおっしゃっているのが印象に残っています。
 
バレリーナは、最初から簡単に脚が上がる人は大成しにくい、とよく言われます。
上がらない脚を、毎日0.1ミリずつでも上げていく、その過程が大事なんだそうです。
その日々の重みが、ぱっと脚を上げたときに表れるのです。
お客さんはそこに何かを感じ感動します。
 
思い通りにいかない左手。
心が動かなければ決して動かないと思います。
そこに温かい血が通い、強さと優しさがうまれ、神が宿る。
両手で達者に弾いただけの演奏からは聴くことができない音楽がそこにあります。
 
音楽とはなんと奥深いものなのでしょうか。
 
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