「体罰には効果がない」から体罰がダメというのはよくない
体罰を受けた高校生が自殺した問題で、体罰をめぐる是非が話題になっています。概ね「体罰は悪」という捉え方がされているようなのは安心です(むしろ、過剰な報道などで“加害者”を自殺に追い込まねばよいが、という気がしないでもありません)。ついでに言えば、今なお悪びれもせず体罰を肯定しているらしい戸塚ヨットスクールの戸塚宏氏もそうですが、こういうときこそ報道関係者には「戸塚ヨットスクールを支援する会」の会長でもある石原慎太郎氏に意見を聞いてきてほしいものだと思います。
■「体罰では強くならない」
「桑田真澄さん“体罰では強くならない”」「桑田真澄さん 体罰は安易な指導」(いずれもNHK)などで、元プロ野球選手の桑田真澄さんが体罰による指導への反対を訴えていることが伝えられています。プロを目指すような世界では、いかに身体能力を伸ばせるかを科学的に分析し、効果的に訓練しなければならず、体罰や精神主義に陥るような指導では十分な効果が得られないことは想像に難くありません。(プロではないですが)昨年のロンドン・オリンピックで男子・柔道の成績が芳しくなかったことも、精神論に偏ったと言われている指導方法のせいではないかと勘繰っています。
■「体罰に効果はない」のか
この桑田氏の意見はもっともなのですが、運動部で活動する生徒の誰もが、そういう高いレベルにいるわけではありません。また、指導者側も専門家というわけにはいかず、義務でもないのに水泳部の顧問を引き受けている美術の先生、なんてこともあるでしょう。体罰を受けないことでダラダラ過ごしてしまう人がいれば、そういう人には体罰をもって厳しい訓練に当たらせる方が効果があるかもしれません。指導する側も、効果的な運動方法を学ぶより、“ビシビシ”鍛えるという方法の方が手軽に効果を得られるのかもしれません。
今回のバスケ部顧問に対する記事にも、次のような報道があります。
一方、同校の卒業生の一部には「顧問は熱意ある指導をしていた」として、処分の軽減を求める嘆願書の提出や署名運動などを検討する動きもあるという。
つまりこの顧問に熱意があり、周囲からも効果も得られていたと認識されていたのだと思います。
■「体罰は効果があってもダメ」というべき
「体罰には効果がないからダメ」という主張に対しては、「体罰には効果があるからよい」という反論がありえます。実際、体罰を肯定(容認)する人は体罰による効果というものを実際に体験しているからこそ「よい」と思っているのでしょう。そういう人に「体罰には効果がない」と主張しても受け入れてもらえない可能性があります。
ここで言うべきことは「効果がないからダメ」なのではなく「効果があってもダメ」だということです。なぜダメなのかと言えば、「取り返しのつかない副作用(悪影響)」がありうるからです。自殺や体罰による致死が取り返しがつかないのはもちろんですが、体罰がトラウマとなって人生でネガティブなイメージを負い続けることだってあるでしょう。「子どもに対して暴力も愛情表現のうちだと教えてしまうと、その子供が大人になったときパートナーの暴力を愛情と思って受け入れてしまうかもしれない」という話もありました。このように体罰の連鎖を招くおそれもあります。
体罰に効果があると主張する人は、そういう悪影響が生じたからといって責任を取ってくれるわけではありません。また、体罰による効果は、体罰以外の手段を考えることができますが、そうした副作用は後から反省したところで回復できない場合もあります。(体罰絶対禁止というと突っ込まれるかもしれないので、一応触れておきますが)広い意味では、犯罪者に対する“懲役”も体罰みたいなものですが、あくまで刑事裁判で(公的に)判断された場合に科せられるものです。“私刑”は法律上も認められていませんし、そもそも教育ではありません。
自分には効果があったと経験を持つ人によって体罰が連鎖するのを防ぐには、効果をまっこうから否定することではなく、悪影響をさしおいてまで得るべき効果なのではない、という形で体罰を否定すべきなのではないかと思うのです。