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電力は競争させるべきか

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先日のエントリにも書いた通り、(原子力発電のリスクを理由とするのではなく)原子力発電に対する社会的な不安が拭えないという現状は、脱原発を選択する理由になりうると考えています。しかし、脱原発の議論には疑問を感じるものがあります。とくに気になるのが、電力会社の事実上の独占状態をやめて自由化させようという動きです。

自由化して意味があるのは自由競争が機能する場合です。たとえば、タクシーのように自由競争が機能しないのに自由化しても混乱を招くだけです(タクシー自由化を成功事例だと思っている人は、駅前の長い行列を見たことがないのでしょう)。電力の自由化はどうすればよいでしょう。電力会社がそれぞれで利用者にまで電力線を配備するのは非現実的ですから、送電には現状のシステムを使い、発電を独立される発送電分離が検討されているようです。

まず、発電を分散させることが発電コストを抑えることになるかどうかという疑問があります。コンピューターでグリッドと呼ばれる仕組み(分散処理)が意味を持つのは、そこそこのパフォーマンスを持つ安価なコンピューターを組み合わせる方が、すぐれたパフォーマンスを持つ高額なコンピューターを使うよりも全体的なコストが割安になるからです。これに対し、電力において発電能力を分散する方が全体的なコストを安価に抑えられるとは考えにくいです。

また、発電効率や現実性を別にしても、ほんとうに複数の電力会社に競争させるのがよいかという疑問があります(そもそも現状で事故対策や賠償金がのしかかる東京電力を自由競争にさらすことは、賠償金を切り捨てさせることになりかねないのですが、これを言いだすと話が進まないので脇に置いておきます)。

通常の競争下では、利用者は電力が安定的に供給される限り、できるだけ安価な会社を選択するようになるでしょう。発送電が分離されているということは、発電側から利用者までは直接連結されているのでないので、どの電力会社を選ぼうと各利用者にとっての電力の安定度は変わりません。通常は利用者と発電所は離れていますから、利用者は発電所の安全対策など気にならないでしょう。そうなれば電力会社は安定化や事故対策の費用はできるだけ抑えようとするはずです。発送電分離で電力の安定供給に問題が生じかねないという指摘があるのも、このためです。

事故対策の基準を設けておけば大丈夫……といって大丈夫でなかったのが大地震で事故を起こしたのが福島原子力発電所です。原子力発電でなくとも、電力会社が事故が起こしたら利用者も離れてしまうでしょうし、何らかの賠償が必要になったとしても倒産してしまう可能性が高くなります。その場合、必要な賠償は国で負担することになるでしょう。東京電力も「潰してしまえ」という怒りの声にしたがって本当に潰してしまったら、原発事故の賠償はすべて国が負担せざるをえなくなるのと同じです。

かつて、固定電話でも電電公社の民営化とともに通信事業が自由化され、長距離電話サービスへの参入がありました。おかげで通話料は電電公社時代よりずっと安くなりました。携帯電話もキャリアの競争があるからこそ安い料金で通話できるようになりました。電力でも同じような利用者メリットが生まれる可能性はあります。しかし、予想もしなかった事故が起きたばかりです。何もなかった時期ならともかく、この時期にいざというときの責任を負いにくくなる仕組みを導入することが本当に必要なのか、慎重に検討してもらいたいものです。

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