起業を考える (2):起業の定義
前回の記事に対して、「走れプロジェクトマネージャー」の大木さんがコメントしてくださいました。
彼はブラジルのクリーニング店は日系人が多いと、その記事の中で述べておられますが、アメリカにも似たような現象があります。アメリカというと語弊があるので、SFベイエリアでは、とこのシリコンバレー近辺に限定した話としますね。
この辺りでは、クリーニング屋さんは、タイとかベトナム系が多いです。
ビデオレンタルは韓国系。
リカーショップはイラン、イラクなどの中近東。
薬局の薬剤師は中国系。
TSAに代わる以前の空港の手荷物検査はフィリピン系。
そして最近、ドラッグストアやホームセンター等のレジにインド系の女性を多く見かけるようになりました。
日系人が多いのは、ナースリー。ナースリーと言っても託児所ではありませんよ。苗木店のこと。草花というよりも庭木を扱っている店に日系人が多いです。果樹園の経営者やサクラメント方面の米農家もいらっしゃいますけれどね。
起業についてTwitterにコメントしたら、早速フォローしてきた高校生がいました。Followerから削除してしまったので引用できずに残念ですが、要旨をまとめると、彼との会話はこんな感じ。
彼: 「学校に行っている時間がもったいなく感じられる。何でもいいから起業したい。起業して家を出て独立したい。」
私: 「起業ってどんな仕事をしたいと思っているの? あなたにとっての起業って何。その定義は? 事業計画は立てたの?」
彼: 「起業なら何でもいい。独立できて、大儲けすることが目的。事業計画なんてないよ。」
こんなやり取りをした瞬間に、これは相手をするだけ時間の無駄と思い、彼をブロックしてしまったのです。 数件のベンチャー投資家との打ち合わせをした後だったこともあり、事業計画もない、起業なら何でもいいという彼の態度に私は短気を起こしてしまったのでした。
日本人はクリエーターというよりはエンジニアだと欧米人は我々のことを見ているようです。
奇抜な発想、既成概念に囚われない型破りのアイデアというのは苦手でも、「極める」ための「匠の技」を持っているのが日本人。誰かのアイデアをさらに良いものに改善する、より効率的、より高い品質、信頼性の実現は得意なのが日本人。
けれども日本人は、その「匠の技」の成果をどこに活かせるかを見つけることがなかなかできずにいます。何が求められているのかを見極めきれない。自分達に匠の技があるが故(?)に、巷の「こんなものがあったら良いのにな」に気が付かないのです。
私達には与えられた環境を従順に受け入れてしまう特性があるのかも知れません。良く言えば適応力がある。けれども裏返せば、不満が見えないのかも知れません。
こんなことができたらいいな。
こんなものがあったらいいな。
こんなことができたらおもしろいのにな。
これらは、市場開拓の原点。
奇抜な発想で夢を実現するのも良し。
匠の技を使って最高峰を目指すのも良し。
起業の種はそこにもここにもあるのです。
皆が求めているものであれば、自然に売れる。
売れればビジネスが成り立つ。
売れそうなものには、投資家が資金を提供してくれる。
それが起業の原点。
起業で儲けるのは結果論であって、まずは人々が何を求めているのかを見つけ、彼らを喜ばせ、満足させてあげること。
日本人にはおもてなしの心があります。人が何を求めているのか、何を提供してあげたら相手が喜ぶのか。私達は、言われなくても察することができるのです。
これを活用したら、いくらでもビジネスになります。どれだけ儲かるかは、どれだけ喜ばれるかに比例しているのです。
日本語では、「サービス」が無償でやってあげることという意味を持っていますが、欧米ではサービスは価値のあるもの、対価を払って得るものと考えます。それなら、ピカ一のサービスを一流のビジネスにできるはず。
起業、起業と騒ぐ前に、自分は世の中のために何ができるのかを考えることが先決ではないのでしょうか? 世の中は何を求めているのかを探求せずに、儲けることだけを考える自分本位な起業が成功するはずはありません。