プロジェクト ミューズ:バイリンガルプロジェクトは辛いよ ~その1~
このプロジェクトにPGKコンサルティングが投入されたのは、プロジェクトのキックオフから既に半年も経っていた。システムのカットオーバーまであと8ヶ月しかないとお尻に火が付いた時だ。
そもそもイギリスで開発されたパッケージソフトをベースにしたこのシステムだが、パッケージが日本語化されておらず、製品情報が不足していたためメーカーのエンジニアがコンサルタントとして採用されていた。ところが開発はなかなか進まない。進まないどころか開発計画自体が暗礁に乗り上げかけていた。PGKコンサルティングに声がかかったのはそんな頃だった。
PGKを採用したのは、某大手の日系SI。PGKはテルストラやドイツテレコムなど大小の通信事業者にこのパッケージを使ったシステムを構築した実績を持っていた。しかもPGKのキーメンバーは、このパッケージの元々開発したエンジニア達だということもわかった。SIは強い味方を得ることができたとPGKに期待した。
このパッケージは、ERPシステムで汎用性がある。日本の販売代理店は、日本での導入実績はあったものの、今回の案件である通信分野は初めて。一方SIは通信業界のノウハウは豊富だったがこのERPパッケージを利用してのシステム構築は初めて。製品知識に欠けるSIと業界経験皆無の代理店コンビによるこの二人三脚は、最初からハンデがあったというわけだ。
10月初めにSIとPGKコンサルティングの顔合わせの後、2週間後にはPGKからコンサルタント2名が東京へ派遣されてきた。そのうちの一人は、PGKきってのアーキテクト。SIが今回の案件を説明しようとすると、一を聞いて十を知る回転の速さである。さすがは大手キャリアを相手にシステム構築してきた会社だ、業界の裏表をよく知っていると、SIは大喜びだ。しかもこのアーキテクト、才色兼備のブルネット美人と来ている。すぐさまSIのスタッフから「女神様」と呼ばれる存在になった。
当初PGKコンサルティングからは数名のコンサルの派遣の提案があった。しかしSIは、パッケージをベースにしたシステムならではの開発手法を教示してもらうこと、またその手法にのっとった開発計画の立て方を教えてもらうことを考えていたので、2名のコンサルで十分という回答を出した。PGKはシステムを設計するアーキテクトと開発者の派遣を決定した。
PGKコンサルは日本語ができない。SIはバイリンガルではない。そこで各コンサルに1名ずつ、常駐の通訳がつけられることになった。これまでの資料は大半が日本語なので、その英訳がすまないとシステム要件すら相手に説明できない。そして会話は一字一句すべて通訳を介さなければならないのだった。言葉の壁、文化の違いも抱えたプロジェクトとなった。
PGKの登場から4ヶ月。システムのカットオーバーまで5ヶ月を切るまでとなった。ところが、開発が始まるどころかまだ要件定義すら完了していない。SIは数週間かけて要件の説明をしてきた。開発手法を教えて欲しい、開発計画の立て方を教えて欲しいと再三繰り返して依頼している。それでもまだこれが開発手法だという回答が出ていない。SIのPGKに対する不信感が芽生えてきた。このままでは空中分解必須だ。SIに焦りが出てきた。
どうしてこんなことになってしまったのか。5月のカットオーバーは実現するのだろうか。この物語は、パッケージソフトをベースにしたシステムを開発するバイリンガルプロジェクトの涙と笑いの物語である。