グロービッシュ的なもの続編:今度こそ団体職員的センス
昨日の「グロービッシュ的なもの:団体職員編」では、フランスの会社の話、グロービッシュ的なノンネイティブに分かりやすい言葉を使うというのは案外大変、という話をしました。
「ネイティブは日本人が英語を理解できないことを理解できない」というのは、英語という言葉は全球的公用語としてそれくらい強力で、それにあいまって英語話者が優位的な立場にいる環境(米国企業など)であれば、発生してしまうことだろうなぁ、とよくよく考えると想像できます。
日本にいて、何かの国際展開を考えると、何か言葉の壁がある、その壁を越えられない・越えるのに難儀する、ということで、言葉の壁==多くの場合は英語 に劣等感を感じる、というのはかなり一般的な状況だと思います。なかなか、「俺の話が聞きたかったら日本語勉強せんかーい」というわけには行かない。
英語が世界中の多数の人に理解されることも含めて、英語は優位的な言語です。したがって、グロービッシュを習得する必要があったとしても、英語話者は得です。非英語話者は損です。
前編で英語ネイティブ話者のAPNIC職員がグロービッシュ的なものに適応努力を払っているといいましたが、僕も役員として意識しているのは、APNIC会員やコミュニティに対して「英語運用能力によって、意見反映が左右されるべきではない」ということです。
APNICが管轄するアジア太平洋地域56カ国の中で、英語を公用語としている国、英語を母国語としている国は非常に少ないので、そういう非常に少ない国の意見だけが反映されるようなことがあってはならない、不得意な言葉で意見を表出しようとする人には敬意を払い、我慢強く聞くべき、ということです。(そういう局面で思うのは、僕のようなノンネイティブにとっても、グロービッシュは難しいということです。)
だから、役員会もいろいろな国から選出されてきていますし、ネイティブ含め英語が僕よりうまい人を差し置いて、僕が長い間議長をおおせつかっていますし、言語の問題による非効率があっても悪びれず堂々とするようにしています。
これは、「コミュニティメンバーの間の平等」といったコンセプトで、APNICという、多国を含む地域に公平にサービスを提供するべき立場から考えることですから、企業の中や企業間のやり取りとはこれとは随分違うと思います。企業の中では、多くの場合には立場の優劣があって、それに従わざるをえないでしょうから。
同じインターネット業界の中でも、ところ変われば雰囲気が変わってきます。もしかしたら続々編で。