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インターネットとそのガバナンスについてつらつらと

ガラパゴス?そうかもしれない

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2月末から3月にかけて、毎年会議が2つ入っていて、今年は、2月末がデリー今週はコスタリカにいます。旅ネタなのですが、少し思ったことがあるので書きます。

今回コスタリカには、コンチネンタル航空を主体とする旅程で予約したのですが、ユナイテッドと(UA)の統合で、乗るときには便名がUAになっていました。経由地はヒューストン。旧コンチネンタルのハブです。トランジットの時間は5時間。エコノミー席なのですが、全日空のステータスが効いてラウンジが使えます。ラウンジで数時間過ごして、さて搭乗口へ。

搭乗口へ行ってみると、僕が乗る便ではなく別の行き先への便名が掲示されていて、搭乗手続き中。うむむ。きっと搭乗口を間違えたんだな、と思って探しにでたところで、OJ氏という知人に出くわしました。OJ氏は米国c社の方で、僕の業界では有名人。親日家で、JPNICが毎年開催するInternet Weekにも毎年来てくれます。

OJ氏も同じ会議に同じ便で行く様子。遅れてるみたいなんだよねー、なんていいながら、立ち話もなんですな、と、その辺の椅子に座って、何やかにやと世間話。

僕たちが乗る、コスタリカはサンホセ行きの便に関して、どれどれ、と、iPhoneを取り出して、なにやら調べ物。UAのサイトでは運行状況が事細かにわかる模様。しかも、これがよく出来ていて、調べている便に使う機材で手繰ることが出来て、その機材の今の状況が、便名など含め事細かにわかるのです。こんな感じ。

Uaflightstatus

結果、その機材がまだヒューストンに到着していないこと、1時間くらいの遅れといっているものも、もう少し遅れるんだろうな、という感じもわかりました。

これは確かにすごい。IT技術の最先端という感じもします。ですが、僕としては違和感。「確かに凄いけどさ、日本人の感覚だと、こんなことが分かるよりも、遅れないでちゃんと飛ばしてくれることのほうを期待するから、凄さの方向性が違うよね」なんて言ったら、「あー、そうね、日本人にはそうかもね、ガラパゴスだからね」ですと。

日本における、サービスやプロダクトの特異な進化のことをガラパゴス化と称することが、どれだけ世界的に共有されているかは分からないです。OJ氏が親日家だから、こういう表現をできるのかもしれません。ただ、日本人のそういう期待が、たぶんにガラパゴス的だという指摘は、そうかもしれないと思いました。

成田からヒューストンへの便のサービス:酒はもらえず買わないといけない、食事の質なんてことは、そういうものだと思う(むしろチープながらファストフード的な小気味よさがある)のですが、アテンダントの応対も、必要以上のことをやらない感じ。気遣いとかを期待するべくもありません。日本人アテンダントを含め。

ヒューストンからサンホセ行きの便はオーバーブッキング:搭乗のタイミングでオーバーブッキングだったのか、7名ほど数百ドルのクーポンと引き換えに後の便への振り替えを募っていました。最後になるとクーポンの額も釣りあがったりして。米国トランジットでどこかに行くときには、往々にして米国以降のセグメントの予約が入りにくいのですが、その理由も分かります。それをやってでも、ちゃんと客を積んで飛ばすことでコストを下げているわけですね。

結果的にサンホセ行きの便は3時間遅れ:搭乗してから寝落ちていたので気づきませんでしたが、1時間半くらい遅れで搭乗した便は、さらに離陸まで1時間半くらいモタモタしていたみたいです。今回は遅れた便で着くのが目的地なので問題ありませんでした(それでも結果到着が夜半になったのがキツかったけど)が、トランジットには時間の余裕をおおらかに見ておかないと、辛い目に遭います。

「時刻表どおりに電車が来る」というような、日本にいると半ば当然と思う感覚は、往々にして裏切られます。そういうことが利用者にも共有されていて、「そんなもんだ」と思われているんでしょうね。客商売は愛想よくするの当然だ、なんてのも、必ずしもユニバーサルには共有されていないということです。

サンホセに着いて、預けた荷物をカルーセルで待っているときに、同行した同僚と上のような話をしていて、同僚曰く、「そういえば日本だと、ベルトで運ばれてきた荷物を、係のおじちゃんが取りやすいようにと取っ手を上にして整えてくれたりしますもんねー。」と。確かに、そういうのも見たことがある。日本人の「心遣い」の最たるものだと思います。

しかし、立場を変えてみると、つまり、日本以外の人から日本のそういうところを見ると、「気味悪い」と思われるかも知れないですよね。誰もそこまでの心遣いを想定していないわけで。いやいや、俺は取っ手を横から取るのが好きなんだよ、それも自由だろ、ほっとけ、みたいな。

僕の業界の親日家、今回のOJ氏以外にもいますが、少なからずこういう日本人の「心遣い」的な性質をまずは違和感を持って受け止め、それに慣れた上で、深く日本を愛するようになっているように思います。これは、なんとなく珍味を受容して愛していく過程に似ていると思ったりして。「このクセがたまらないんだよねー」みたいな。

ガラパゴス化というくらい先鋭化しているならば、スケールを追い求める上では不利、なんて経済の話とも、得られないことを嘆くよりも、その分きっと他にあるだろう良い面を探したほうが前向きだ、という多文化相対論とも着かない話になっちゃいましたが、日本で得られるものが、他の国で得られるとは限らない、ということをつらつら思った次第です。

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