なんでオフィスに来なきゃいけないんだろう
田澤由利さんという方がいて、「ネットで働ける」社会は本当に来るのか?という記事を日経のネット時評に記事を書かれているのを、僕の働いている研究所の代表、公文先生から教えていただいた(他のメディアの紹介で失礼)。田澤さんはすごい方で、北海道の北見に住んでいるのだが、ネットがあれば田舎にいたって仕事ができるはずだと、y's staffという会社を起業された。この会社は、在宅で働く「ネットメンバー」を組織して、ネット上だけで仕事をしてしまおうという野心的な会社だ。その経験をふまえ、今考えていることをまとめられたのが前掲の記事だ。
「インターネットが普及すれば、ネットで在宅で仕事したりすることもできるよね」、なんてバラ色のインターネット観もあるのだが、いろいろやってわかったことは、そう簡単にはいかないということだ。顔をつきあわせないでネットだけで仕事をしようとしたことがある人なら、誰でもわかることだと思うが、ホントにやろうとすると、結構大変なのだ。ツールの問題もあれば、仕事のスタイルの問題もある。技術だけで解決できない問題がかなり多い。ましてや、田澤さんのやろうとしているように、在宅でも働きたいというひとたちを集めて、その人たちを組織しようとすると、その難しさは並大抵ではないだろうと思う。本当に尊敬する。
記事を読んで、いろいろな感想を持ったので、思わず長文の感想を書いたのだけれど、ここにも載せておくことにする。
★以下感想文
いろいろなことに思い当たりました。僕は10年以上前から、半分冗談を込めて「ネットワークの研究をやっている俺たちが、研究室に物理的に集まらないと研究できないなんていうのは技術の敗北だ」なんて言っていたものですが、その問題意識は今でもくすぶり続けています。
田澤さんは「教育」「管理」「仕事」という言葉を使っています。ここで「管理」と呼んでいるものは、実はコラボレーションスキルなのではないかと思います。
我々がオフィスを共有した方が仕事が進みやすいというのには、直接の対話による情報の豊かさのメリットを享受したいということもありますが、実は単に紙を使いたかったり、お互いに気配を感じて(相互監視して?)、互いの仕事の進行状況などを身体的に把握するといった、コラボレーションに必要な情報の共有の方法が、自然と身についているという要因が大きいように感じています。
ネットで協働しようとすると、コミュニケーションのスタイルや情報の共有方法、進捗状況の相互把握、仕事の進め方などが共有できている場合と、そうでない場合では効率に大きな差が出ることが経験的にわかっています。もともと息が合っている人とは、メールとskypeだけで、ほとんどの仕事ができます。これを田澤さんは「管理」と呼び、その形式化が重要であると述べておられるのだと思います。全く同意見です。
われわれはよく協働という言葉を使いますが、ネット上で協働をするためには非常に多くのスキルと環境・道具を共有する必要があります。このことをみな感覚的に分かっていて、そのコストを払いたくないがために、現在は慣れた実空間を使っているのではないでしょうか。
(実際にはもっと具体的な必要性もあることは承知の上で、捨象してみました)
もしそうだとすれば、情報社会で遠隔でのことも考慮に入れつつ協働できるに至るには、田澤さんの問題提起である「管理」(=コラボレーションスキル?)の形式化、そのスキルの「教育」・共有が不可欠だと思われます。
まだ、情報社会で行われる協働のスタイルが出きったとは思えませんが、田澤さんが「仕事」(製造業的な仕事)と呼んでいるような領域の協働は、もう「管理」の形式化ができる領域まで来ているということなのでしょう。
地域情報化の文脈でも、若干広い情報社会学の文脈でも、いろいろ考えさせられます。
★感想文終わり
この時代にわざわざオフィスに来て仕事しているなんてのは、実は怠慢なのかもしれない。