なぜ著作権は「無視」されがちなのか
著作権を巡る議論の中に、「現在の著作権法のあり方は変だから、無視して構わない」という考え方があるように思えて、気になっています。法律は、国民の代表が国会で審議して作られます。国会に上がる前には、何時間、何十時間にも渡る審議会の議論を経ています。つまり、民主主義の手続きに則って、コストと時間をかけて法制化されているわけです。他の法律制定と同様、この手続きの具体的な進め方に批判があるのは承知していますが、それは別問題です。
ところが、著作権法の議論になると、なぜか、法に関するこうした前提をないがしろにするだけでなく、法を破っても仕方ないと言った議論になりがちのように感じます。もちろん、著作権法のあり方に反対を含め意見を言うことは自由です。言論を戦わせることは民主主義手続きの前提でもあります。でも、民主的な手続きを経て決められた法を無視することは許されません。ビニール傘には所有権はないと考えるのは自由ですが、だからといって他人のビニール傘を勝手に持っていたら窃盗(泥棒)です。
著作権法が「無視」されがちになるのは、おそらく、第30条によって私的使用目的の複製が認められていることで、多くの人が著作物のコピーに、体験的に慣れてしまっているからだと想像します。しかし、私的使用目的の複製は、あくまで著作権を制限する例外的な規定であって、基本的には、コピーするときには著作権者の許諾が必要です。そういう特例部分だけを抜き出しさらに拡大解釈することは、法律の読み方としても論理的思考としても間違っているのです。
著作権法をめぐる議論の中には、残念ながら、勉強不足から来る間違いや誤解などが目立つように思います。特に教育現場の先生の中には根強い誤解が残っていますが、このことは追々書いていきましょう。ともかく、多くの人が著作権に関心を持って発言をすることは民主的な手続きを行う上でとても重要なことですから、これからはACCSとしても、これまで以上に分かりやすい広報啓発活動が求められると感じています。