誹謗中傷コメントを「削除」させるか「無視」するかの判断方法
学校裏サイトやゲームサイトの掲示板などでの誹謗中傷に対しては、政府や企業も様々な取り組みを行っていて、それなりの効果をあげているのだが、いまだにネットなどのいじめによる自殺は後を絶たない。
そんな中、子供のネット問題に関する子ども向けガイドを書いているのだが、学校裏サイトや各種掲示板に誹謗中傷コメントが書かれた場合に、それを「削除させるか、無視するか」の判断に関するアドバイスが欲しいと依頼された。
この問題に直面した子ども、親、先生が最初に判断を求められるのが「削除か、無視か」だからだ。
「いじめ」に合った時に、無視していてエスカレートする場合があれば、生徒への中傷コメントを削除させた先生が、自分の家族も含めた大きなトラブルに巻き込まれたという例もあるり、判断が難しい。
今回、大人がネットで誹謗中傷を受けた場合の経験を生かして対策を考えてみることにした。何人かから事例を聞いたので、自分の経験も含めて整理してみたい。
今後、ブロガーの皆様、本ブログの読者の皆様のご意見いただいて、このブログや本で大人の経験を生かした対応の選択肢をフィードバックしたいと考えている。
想定しているのは、
・学校裏サイトや各種掲示板での誹謗中傷コメント
・子どもの顔とワイセツな写真の合成写真
・プロフの成りすましにより人格否定されるように
などでの攻撃が子ども(生徒)に対して行われた場合に、それらのコンテンツの「削除を依頼をする」のか、「無視するのか」の判断と、具体的にどのように対応するかである。
いじめをネットの世界で根絶するといった社会全体での対応方法ではないく、自分の子どもや生徒がネットでのいじめを受けたときにどのように対応するべきかである。
また、ステレオタイプにならないレベルで、なるべくシンプルに整理したい。多くの人が実行するときには、(内容が正しくても)複雑になっては、継続的に、すばやく実行することが難しいからだ。
私の経験による判断と対応案を書いてみたので、皆様の経験、意見、考えをブログに書いていただき、コメントやトラックバックをいただければ幸いだ。
<掲示板での誹謗中傷の特性>
大人のネットの世界でもそうなのだが、誹謗中傷などで攻撃している者は、
軽い気持ちやお遊び半分の場合が大半なのだが、かなり陰湿なものもあり、その場合は、
・特定の人に対しての攻撃に、多くの賛同者が加わりることにより場が盛り上がる
・次々とコメントが書かれて慌てて削除するが、追いつかずに「イタチゴッコ」になる
ことを面白がる
ようだ。 何しろ、相手が痛みつけられている姿を楽しむのである。
逆に言うと、学校裏サイトなどで誹謗中傷コメントを書いても、
・他人のコメントが付かず、いじめが盛り上がらない
・自分の書いたコメントが素早く次々と削除されてしまう
・いじめられている側が、いじめられていることに気がつかない
・いくら誹謗中傷しても相手が動揺しない
場合には、面白くないので攻撃は収束する。
したがって、この場合に重要なのは、
「まったく動揺を見せずに、淡々と徹底的に対応する」
ことである。 この徹底的な対応とは、
「完璧に無視する」
「徹底的に継続的に素早く削除する」
となる。 中途半端な対応は、いじめをエスカレートさせることになるのだ。
削除に関しては、その掲示板サイト全体を運営している管理者に依頼することになるが、国や業界の取り組みにより、以前に比べて積極的に対応してくれるようになった。
有害サイトの扱いになって、フィルタリング対象になってしまうと、子どもたちがアクセスしなくなってしまうからである。
しかし、それでも特定の個人に対する誹謗中傷なのかどうかの判断が難しい場合も多く、必ずしも削除に応じてくれるとは限らない。
<削除か無視かの判断>
これらのことから、削除するか(削除依頼するか)、徹底的に無視するかの判断は、以下のようにすべきではないかと考えている。
・第三者から見て明らかに個人が特定できる情報が欠かれている場合は、誹謗中傷の内容か否かに関係なく「個人情報の流布問題」としてサイトの運営管理者に削除を依頼
・本人の顔写真とワイセツな写真を組み合わせたような合成写真の場合は、「有害コンテンツ」として削除を依頼
・親や先生が協力して、割れ窓理論(Broken Windows Theory)を実践する意思があり、他のサイトへの転移やキャッシュも含め、素早く徹底的に継続的に削除するつもりなら削除依頼
・個人情報が含まれず、第三者が見て、特定の人を誹謗中傷しているとは明確には判断できない場合は削除依頼をせず、徹底的に無視
・子どもが現実の世界で無視しきることができ、自分に対する誹謗中傷が書かれていることがわかっていても、精神的の負担が大きすぎないなら無視
・他の子どもが見ても、おかしな論理や明らかな嘘である場合は削除せずに、第三者(他の子ども)がその考えの間違いを指摘するコメントを書く
・単なるストレスのはけ口として一時的に書いていったもので、継続性がないものに関しては、刺激しないために削除を依頼せず、ほとぼりが冷めてから削除
<削除を決断した場合>
削除を決断した場合であるが、「徹底的に素早く継続的に削除」することが重要だ。
削除は、サイトの管理人(トピックスやコミュニティの管理者や管理人ではない)に依頼することになる。
以下のような手順で行うといいだろう。
・なぜ削除するかの理由を論理的に具体的に整理する
・検索エンジンを利用して、誹謗中傷コメントや写真が掲載されているページや転移している他のサイトのページ、キャッシュを確認し、そのURLの一覧を作成する。
・削除依頼は、誹謗中傷されている本人(子ども)ではなく、第三者の大人(親、先生など)が「サイトの運営管理者」に対して行う。その際、本人からの依頼だと伝えない。
・削除依頼後、3日経過して回答が来ない場合は、以下の4つのサイトで確認の上で、違法、有害サイトとして通報するか相談する。
「警察庁 サイバー犯罪対策」 http://www.npa.go.jp/cyber/
「警視庁 情報セキュリティ広場」(東京) http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/haiteku/
「インターネット・ホットラインセンター」 http://www.internethotline.jp/
「プロバイダー責任制限法 関連情報Webサイト」 http://www.isplaw.jp/
・最初の1週間は、早朝、夕方、深夜の1日3回、ネット上に関連コメント、写真がないかどうかを検索エンジンなどで確認して、見つけたらすぐに、そのページ(スレッド)とキャッシュの削除依頼を出す
・サイトでのメッセージや写真の削除が確認できたら、すぐにYahoo!、Google、MSNなどの検索エンジンの「キャッシュの削除依頼」をこれらのプロバイダーに送る (掲示板の情報を削除しても検索サイト内にキャッシュとして残っていて検索すると見えてしまう)
・子どもには、親や先生の削除などの活動を逐一メールで報告 (大人が動いていることがわかれば子どもの心労は和らぐ)
・サイトへの書き込みや写真は個人のパソコンの中に保存されている場合もあり、それらがサイトに再度公開される場合があるので、1ヶ月程度は毎日検索して徹底的に削除を続ける
このように、削除を開始して1ヶ月してから出てくるものに関しては違法性が無い限り無視するほうがいいだろう。 今までの状況を見る限り、そこまで執拗なものはないし、削除が新たな火種になる心配もあるからだ。
次に、徹底的に無視する場合について考えてみよう。
<徹底的に無視する場合>
第三者から見て、明らかに違法、有害コンテンツ、明確に特定の個人への攻撃であるとが認識できない場合は、その対応が難しい。
本人から見ると明らかに自分に対する攻撃であっても、第三者から見ると、そのように判断されないことが多く、私が相談を受けたものも大半が特定の個人を対象にしているとは、言い切れないものだった。
その場合の一般的な対応は、「徹底的に無視」することだ。そして、子どもには、
「気にさせない」
「気になっても、相手に悟られない」
ように工夫することが重要である。 そのために、以下に注意するといいだろう。
・本人(いじめを受けている子ども)には、それらのコメントを絶対に見ないようにフィルタリングを設定してもらう。
・本人が学校などで、ネットでの書き込みなどの話題が出ても「気にしていない」「見ていない」と発言するように進め。無理にでも明るく、前向きに振舞わせる。(実際に明るく前向きになる)
・その子どもが自分のブログや日記をもっている場合には、いじめの件には触れずに無視して、明るい、前向きな話題を毎日書き続けてもらう。
・そこから派生する学校などでの「いじめ」がないかどうかと、本人の現在の心理状態を「コーチング・スタイル」(傾聴と共感)で時々確認する。
・子どもに対して、ネット以外で集中して取り組める何かを行うように働きかける。
・子どもが疲れた心を癒し、安らげ、充電して新しいチャレンジに飛び出せる家庭を作る。
「徹底的に無視する」場合に重要なことは、ネットでも学校でも「無視している」「気にしていない」という姿勢を見せ続けることだ。そして、実際に子どもが気にせずに、他により生き甲斐を感じられる何かにとりくめる「きっかけ」を検討するべきだと思っている。
先ほど(5日早朝)、私の知人の友達である19才の少年が、自らの命を絶ったとの連絡を受けた。
子どもの自殺を少しで減らせられればと強く願っている。 IT、ネットに関わるものとして、少なくともネットでのいじめによる自殺は減らしたいのだ。いや、ネットでのいじめでなく、現実の世界でのいじめからも救う力がネットにはあるはずだ。
私たち大人の一人一人が、子どもを守り育て、その経験とノウハウをネットで共有することでに少しずつでも改善していけるのではないだろうか。
ネットは自殺のきかっけを作る悪のツールではなく、苦境にある人を助けられる優れたコミュニケーション、コラボレーション、コーディネーションの道具であるはずなのだ。