『ガラスの仮面』の考察 ー速水真澄のトレンチコートという隠喩ー
本稿は「『ガラスの仮面』の考察 -鷹宮紫織と『源氏物語』-」の続きです。速水真澄が北島マヤに自身が持っているトレンチコートを羽織らせたがる理由を考察しました。
トレンチコートという隠喩
速水真澄が「寒いだろうから」と心配して北島マヤにトレンチコートで覆う、もしくは羽織らせるシーンが複数あります。何回も同じ行為を繰り返すのには理由があるのではないかと気になっていました。
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単行本47巻の場合に関しては、おそらく『ガラスの仮面』の読者はその次の日の朝の「日の出の最中に北島マヤが阿古夜を演じる場面で効果的にトレンチコートを使うために作者は速水真澄がトレンチコートを持参するようにした」と答える方が多いのではないかと推測をしています。
それは演劇効果を考えた上で正しいことだろうと推測していますが、過去にも速水真澄が北島マヤにトレンチコートやスーツを「寒いから」という理由で羽織らせているので、「北島マヤにトレンチコートを羽織らせる」という行為は何かを隠喩しているのではないかと考えています。
というのは、梅の里で桜小路優が北島マヤに自分のジャンパーを寒いからと羽織らせた際に、速水真澄は激しく嫉妬をしているからです。彼は北島マヤに上着をはおらせるという行為に大人の男性として女性を守るという恋人のような感覚をいだいているのかもしれません。
単行本37巻の山小屋を出た後の車中シーンでは速水真澄がトレンチコートの残り香からマヤとの抱擁を思い出します。香り(嗅覚)から彼女が自分を抱きしめた時の感覚(触覚)を脳が再現。速水真澄は身も心も切ない気持ちになります。そして単行本47巻では北島マヤが阿古夜の演技の中で速水真澄のトレンチコートを愛おしそうに抱きしめました。
速水真澄は自分が北島マヤに抱きしめられたような気持ちがして、感情を理性で抑えることが難しくなります。単行本37巻ではコート=北島マヤの肉体の隠喩(メタファー)となり、単行本47巻ではコート=速水真澄の肉体の隠喩(メタファー)となっています。
手を相手の頬に差し伸べる行為も同様。単行本37巻では速水真澄が北島マヤの頬に増えかけて手を引っ込めてしまい、単行本47巻では北島マヤが背伸びをして速水真澄の頬に触れます。似たような事が起きていますが、行動の主体が入れ替わっています。そして同じ事が繰り返される中で2人の感情がだんだん変化している点が興味深いところです。
一年前には夏目漱石「明暗」との類似を指摘しましたが、速水真澄が内心で愛しい北島マヤにコートをかけたがるのは、ある古典文学のモチーフと似ていると感じています。そのモチーフは『ガラスの仮面』の中にも登場しています。
今後、機会があればまた考察したいと思います。最後までお読みくださり、ありがとうございました。
編集履歴:2023.9.14 21:00 サブタイトルを「ートレンチコートというメタファー(補足)ー」から改めました。