No.10 「牛にひかれて善光寺参り」
日々、IT活用や情報活用について考え、お客様と情報活用のあるべき姿を議論していますが、そんな中、長野の善光寺に行ってきました。7年に一度の善光寺前立(まえだち)本尊御開帳の期間で大変な混雑でした。
本堂前の石畳の上に、本堂内の前立本尊(中央の阿弥陀如来の右手)と金糸・五色の糸・白い「善の綱」で結ばれた回向柱(えこうばしら)が立っており、それに触れると前立本尊に触れたのと同じ御利益(りやく)があり、その功徳は計り知れないとのことです。
(参拝客で溢れた善光寺:回向柱と本堂を結ぶ白い綱が見える)
回向柱に触れるための行列は、何と2.5-3時間とのことで、私は前立本尊の参拝だけをしました。(善光寺本堂に安置されている御本尊は、一光三尊阿弥陀如来と言って絶対秘仏であり、決してその姿を現さないとのこと。寺の方も見たことがないそうです。そのため、御本尊の御身代わりとして前立本尊が造られたそうです)
回向柱に触れた人は皆、下を向いて両手でもたれかかるような格好をし、数分間祈っています。その姿は私の心に重く響き、観光気分ではないと感じさせられます。日本人は、あらためて信仰心が厚いのだと感じます。
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振り返ってみると、このグローバル化時代、私を含め、人は皆ますます合理性、効率性を求め、仕事をし生活をしていますが、一方で、本当に幸せなのだろうかという思いが常にあります。将来の不安の解消や安定を望むために、信仰心が強くなっているとも思えますね。
合理性・効率性の権化が、ビジネスや生活のIT化でしょう。便利にはなっていますが、企業の論理で顧客に商品をうまく購入させるためのIT利用はすぐに限界が来ると思います。
では、何が必要なのかと自問します。そのキーワードは人々を幸せにさせる「豊かさ」「美しさ」、企業から見るとそれらを判断できる「審美眼」なのでしょうね。
当ブログの「No.4 分析と“アート”の融合 ~ シルク・ドゥ・ソレイユを観て」で、『「データ」は「情報」に変容し、「情報」は「知」に進化します。「知」に進化するには、何か特別な触媒が必要に思えます。それが“アート”ではないかと思うのです。』と書きましたが、企業側から考えると、アートや審美眼はIT活用を促進するでしょう。
しかし、顧客の満足とは、適切なオファーを企業から受けるだけでなく、心の豊かさを膨らませる働きかけがあってはじめて達成されるものではないかと思います。
モノの豊かさでなく、心の豊かさを導出するような顧客へのアプローチ。売らんかなではなく、消費者の立場でもある自分を鏡として考える客観性。利益だけを追求しない企業姿勢。簡単ではないですね。