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「誰かが教えてくれることを信じるのではなく、自分で考えて行動する」ためには、矛盾だらけの「現実」をありのままに把握することから始めるリアリスト思考が欠かせません。「考える・書く力」の研修を手がける開米瑞浩が、現実の社会問題を相手にリアリスト思考を実践してゆくブログです。

原子力論考(58)統制を失った集団には別な統制の網がかかる(コミュニティ・シリーズ2)

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 原子力論考のコミュニティ・シリーズその2です。相変わらず原子力の話はまだ1文字も出ませんが、あしからず。

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 前回書いたように、社会をひとつのコミュニティとして維持していくためには、行動様式を統制する何らかの方策が必要になります。それは「慣習」と呼ばれたり、「文化」や「宗教」と呼ばれることもあり、「法律」が該当することもあります。
 それらの「行動様式を統制する仕掛け」は本来は社会の中に安定的に埋め込まれていて、社会の中で暮らす個人がそれを意識することは本来ありません。

 ところが、「社会の中に安定的に埋め込まれている」というこの状態が崩れると、困ったことが起きます。19世紀ごろからそんな事態がヨーロッパ全域で起こり始め、ある重大な社会変動を引き起こします。

 19世紀ごろからヨーロッパで起こった「そんな事態」というのはいわゆる「産業革命」と、それにともなう「労働者階級」の成立です。
 産業革命以前の社会では、農業・商業・工業のすべてを含む安定的な社会のしくみが成立し、個々の成員に対する行動様式の統制が働いていましたが、産業革命以後、急増した都市労働者(労働者は都市にいた者ばかりではありませんが、便宜上こう呼んでおきます)にはそれが働きません。



 しかし、人間の集団というものは、コミュニティになろうとするものです。伝統的な統制の働かない人間が集団で存在すると、そこに新たなコミュニティを作ろうとする力が生まれてきます。

 産業革命以後に成立した「都市労働者」は、「セーフティネットがないままで酷使され、死んでゆく人々」が、おおぜい固まって、それも都会に目立つ形で存在しました。

 そういう状態を放置しておいてよい、とは普通は思わないものです。もちろん、貧乏人を人間扱いしないような思い上がった金持ちも世の中には存在しますが、一方で、「貧しい人々を救おう」と考える者も出てきます。

 そういった背景があって生まれたのが社会主義・共産主義思想です。



 ちなみに社会主義・共産主義思想といえばマルクスが有名ですが、マルクスの活動を資金面を含むさまざまな形で支えたエンゲルスという人物はドイツの実業家であり、つまりは共産主義が敵扱いした「資本家」サイドの人間でした。「資本家」であっても、労働者の貧困をなんとかしなければならない、と考えてそのために私財を投じる人物は出てくるわけです。

フリードリヒ・エンゲルス(wikipedia)
エンゲルスの父は、マンチェスターにある自分の綿工場に従事させるために、彼をイギリス帝国に送った。そこで彼は、都市の広範囲に拡がった貧困に衝撃を受けた
 (中略)
ビジネス人としてのエンゲルスは非常に有能であった。その堪能な数ヶ国語の言語を活用して会社の発展に貢献し、最終的には共同経営者の地位にまで上り詰めた
 (中略)
マンチェスター時代には、エンゲルスは、マルクスの主著『資本論』を完成させる上でこの上なく重要な助言者となった。資本主義経済の渦中で有能な経営者として頭角を現しつつあったエンゲルスは、マルクスに対してしばしば現実の経営の実情、資本家の実務や慣例について情報を提供した。

 そんなわけで、伝統的社会の統制を外れた「労働者」が集団として存在し始めたとき、そこに彼らを統制する新たな社会思想が生まれるのは必然でした。結果、共産主義がその役割を担ったわけですが、この思想は既存の社会における行動様式と衝突します。



 「既存の社会における行動様式」というのは、慣習や文化や宗教を含む、社会の中に埋め込まれたさまざまな仕掛けによって維持されています。しかし、それがあるとたとえばこういう扇動はできません

我々は、あらゆる現存する社会制度を暴力的に打倒することによってのみ、われわれの目的を達成できることを、ここに公然と宣言する!
万国の労働者よ、団結せよ!

 ↑これはマルクス/エンゲルスの手による「共産党宣言」の結びの一節の要約です。

 「あらゆる現存する社会条件を暴力的に打倒」ですよ。
 「万国の労働者よ、団結せよ」ですよ。

 こういう考え方は、ご近所のじーさんばーさんとの世間話には馴染みませんね。

 そのため、共産主義がその影響力を広げる過程では、「既存の社会を統制するさまざまな仕掛け」を破壊しようとしました。「行動様式を統制する力」は、慣習や文化や宗教といった様々な形で「社会に埋め込まれて」いるため、それらすべてを一斉に敵視して取り除かないと、なかなか既存の伝統社会に対して対抗できないからです。

 共産主義運動が都市労働者や学生の間に広まっていったのは当然の話で、都市労働者や学生というのはそうした「既存の伝統社会の統制力」が弱い存在だったからです。
 逆に、伝統社会の統制力が強い集団に対してはそれを解体するような手を打つケースもあります。

【集団農場】
集団農場(しゅうだんのうじょう)とは、耕作農民の組合によって所有・運営される形態の農場。コミューンの一形態。

多くの場合、農業施設にとどまらず様々な福利厚生施設を兼ね備えており、組合員の共同生活を前提としていることが多い。社会主義国においては国策としての既存農地に対する農業集団化の過程において半ば強制的に形成された。

 「社会主義国においては半ば強制的に形成された」というのもそう考えれば意味が分かります。「既存の伝統社会の統制力」が存在する領域では、その力を取り除いておかないと共産主義による統制が効かなくなるからですね。

 同じ理由で、共産主義は「宗教」をも敵視してきました。

宗教は追いつめられた者の溜息であり、人民の阿片(アヘン)である 
マルクス 「ヘーゲル法哲学批判序論」

ソ連崩壊にともなう宗教の復活(wikipedia)

 さて、いろいろと見てきましたが、要は

統制を失った集団には別な統制の網がかかる
 ということです。社会を安定的に維持するためにはどうしてもそれが必要です。ところがその「別な統制の網」が、共産主義のように他者に対して攻撃的なものだと、それ自体が社会の不安定要因となります。

 この不安定要因が1945年以後の日本でどう作用したか、というのが次の話題になります。

 (続く)


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