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「誰かが教えてくれることを信じるのではなく、自分で考えて行動する」ためには、矛盾だらけの「現実」をありのままに把握することから始めるリアリスト思考が欠かせません。「考える・書く力」の研修を手がける開米瑞浩が、現実の社会問題を相手にリアリスト思考を実践してゆくブログです。

ときには長い迷走をするのもまた人生

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もう10年ぐらい前の話・・・と思っていたら、実は5年前でしかなかったのですが、ある本を読みました。
企業の決算書の読み方について、ユニークな構成でわかりやすく書かれた本で、率直に言って非常に面白く、勉強になりました。

こういう本を書くのはいったいどんな人だろう? と思っていたある日、知人の結婚式に出たらその本人が媒酌人として来ているという奇縁もありました(ただし私は一言あいさつしただけでしたが)。
その後、その著者が書く本を何冊か読み、仕事術、勉強術に関しては(私自身が実践できているか・したいかは別として)深く同意するところが大だったため、注目する識者の一人でありました。

ところがその後、その著者氏は思わぬ方向に迷走をはじめたように見えました。
新刊本は常に平積みになる人気著者ですから、書店に行くと目につくわけですが、手にとってはみても「この頃なんだか変な本を出すなあ・・・」と思って買わずに帰るようになってしまいました。

そして3年ほど前、ある機会に著者氏が講演で、ある統計データを使って「日本は相対的貧困率が高い」という主張をしているのを聞いたんですね。

そのデータは少し前に話題になっていたので私も知っていましたが、「日本は相対的貧困率が高い → したがって格差の大きな国である」というロジックにはツッコミどころが多く、論拠としては頼りにならないという結論を当時私は個人的に下していました。

その「頼りにならない」ロジックをその著者氏が使ってきたのでなかなかの衝撃だったわけです。おいおいどうしちゃったの・・・? と思いました。そのロジックが無理筋であること、少なくとも無理筋であるという批判が存在することを、その著者氏ほどの人が知らないわけじゃあるまい・・・。

もし知らないなら知らないで、社会的な問題について発言するに当たっての問題分析能力を問われますし、知っていて一言も触れずに黙って使っているなら、聴衆を甘く見ている=つまり言論人としての誠意も問われることです。

それ以外にも、その後の著者氏の発言・行動を見ていると、どうも2007年ごろの売り出し当時のそれとはつじつまの合わないところが目立ち、論理的におかしな主張が目につくようになりました。

そんなわけで私は「迷走」と呼ぶわけですが、ただ、「迷走」それ自体はしかたがないこと、人はそういう矛盾を抱えて生きるものなのだろう、と、このごろ思うようになっています。まあ、私の目からは迷走に見えても、個人の生存戦略としては正しいのかもしれませんが。

・・・うーむ。なんだか急にオッサンじみた人生訓のようになってますね(笑)

まあ、どんなに能力の高い人でも、いつでも、どの分野でもその能力を発揮できるわけじゃありません。本来、知識経験が豊富で冷静な判断力を持っているはずの人物が、専門分野以外の社会問題についてはどうにもオカシなことを言う事例を私もこの10年ほど数多く見てきました。

(ちなみに「この10年ほど」の発端は、2001年の9・11同時多発テロに関するアメリカ黒幕・陰謀論でした。ロジカルシンキングの先生をしていた人物が田中宇と神浦元彰と副島隆彦というトンデモジャーナリストをソースに陰謀論を大まじめに語るのを見て頭痛がしたものです・・・)

別に他人事でもなく、私だって迷走することはあります。冷静に考えればこの1年書き続けている原子力論考だって迷走のうちです(笑) 内容が間違いという意味ではなく、私個人にとってのビジネスを考えれば単なる迷走です。でも、しょうがないです。この種の問題については黙っていられない、そういう人間ですから。

いいじゃないですか、迷走したって。
夢から覚めたら、馬鹿なことをしたな、と締めくくってやり直せばいいだけです。
そんなときに、言動に一貫性がない、と攻めることだけはしたくないですね。
「我が党は首尾一貫して○○を主張してきました」と常に主張する某政党を知っていますが、その某政党の主張が実際にはまったく首尾一貫しておらず、しょっちゅう手のひら返しを繰り返しているのも政界ウォッチャーの間では有名です。

「間違った」ことを認められない文化、空気の中で生きていると、そうなります。

迷走上等、仕事はシビアに、人生は気楽にいこうじゃありませんか。
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