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「誰かが教えてくれることを信じるのではなく、自分で考えて行動する」ためには、矛盾だらけの「現実」をありのままに把握することから始めるリアリスト思考が欠かせません。「考える・書く力」の研修を手がける開米瑞浩が、現実の社会問題を相手にリアリスト思考を実践してゆくブログです。

インテリジェンスとインフォメーション

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文書化支援コンサルタントの開米瑞浩です。

最近あった某事件に触発されて、インテリジェンスとインフォメーションの話を書いてみたくなりました。

以下、あくまでも一般論として書きます。現実の世界において似たようなことが起きていたとしても私の知るところではありません。

  ★   ★   ★ 

映画「007シリーズ」のジェームズ・ボンドが所属していたのはイギリス情報局秘密情報部、正式名称を Secret Intelligence Serviceといいます。(MI6 - Military Intelligence section 6はその別称)
また、その007シリーズを初め多くの映画、小説などに登場するCIA、アメリカ中央情報局は正式名称をCentral Intelligence Agency といいます。
どちらも「intelligence」という用語が使われていますね。軍事・諜報分野において「情報機関」と言えばその「情報」とはintelligenceです。これは日本でも同じです。

一方、「情報」という日本語の英訳として普通に連想されるのはinformationです。

日本語では同じ言葉になってしまいますがこの両者は

    information を集約・分析・評価して得たものがintelligenceである

という関係にあります

<参考>
小谷賢 著   「日本軍のインテリジェンス」 (amazon)
「情報」という言葉自体にも若干の注意が必要である。そもそも英語では「情報」を示す語として、「インフォメーション」と「インテリジェンス」がある。前者はただ集めてきただけの生情報やデータ、後者が分析、加工された情報になる。例えば天気予報において、湿度や気圧配置といったものはデータ、つまり「インフォメーション」であり、そこから導き出される明日の天気予報が分析済みの情報、すなわち「インテリジェンス」である。

ちなみに「インテリジェンス」を情報と活動に区別して、

  インテリジェンス活動 = インフォメーションを収集分析加工する活動
  インテリジェンス情報 = インテリジェンス活動の成果物

とする場合もあります。たとえば「明日の天気予報」はその意味ではインテリジェンス情報になるわけです。

さて、問題は次のチャート。
インテリジェンス情報を必要とするのは政策決定部局です。たとえば極端な例を挙げると総理大臣であり官房長官であり防衛大臣であり内閣危機管理監です。政策決定部局は政策決定の必要に応じて情報機関に対してインテリジェンス情報を「要求」し、情報機関はその要求に応じてインテリジェンス活動を行い、その結果得られたインテリジェンス情報を提供します。



 インテリジェンス活動とその情報に対する態度が対称的だった2人の大統領の話を聞いたことがありますが、残念ながら確たるソースがありません、とお断りしつつ書くと、

ジミー・カーター 第39代アメリカ大統領
長い報告書を隅から隅まで読み、細かいところに口を出したがる。「いわゆるマイクロマネジメントで、ホワイトハウスのカーペットや電球のことにまで口を出したものだ」という証言も。

ロナルド・レーガン 第40代アメリカ大統領
どんな長い報告書も最初の1ページしか読まない。その1ページの中に以下の3項目の情報を簡潔に書かせた。1 結論 「大統領として決断すべきことは何か」 2 その理由となる背景と事実 3 決断の選択肢に対する評価と結論に至った理由、そして決断しなかったらどうなるか

このロナルド・レーガンのスタイルはカーターとは対称的で、「インテリジェンスの役割をうまく使ったマネジメント」といえます。

注意したいのは、「決断の選択肢」と「決断しなかったらどうなるか」が項目として挙がっていることです。これが示すのは、

  インテリジェンスのベースには「想定シナリオ」がある

ということですね。

「Aのような状況下でBを意味する出来事が起きた場合、Cという対応をするとDのような事態が起き、Eの対応をするとFのような事態が起きる。何もしない場合はGとなる」

・・・のような想定シナリオがあると、インテリジェンスが活きてきます

 実際には「Bを意味する出来事」の「B」が直接誰にとっても明確な形で出てくることは少ないものです。

 たとえば・・・・急に地を這うような例を挙げると、営業マンが2人で見込み客のところに訪問してヒアリングをしてきたとしましょう。その後、2人のうち1人が「あの客は成約見込み80%」と考えても、もう1人は「いや、ほとんど0%だろう」とまったく逆の判断をすることはよくあります。2人は同じデータを見ているはずですが、そのデータの分析・加工を経てどのように見込み具合を評価するか、というインテリジェンス活動の部分で判断が分かれるわけですね。

 政策決定者にとって必要なのは、「Bを意味するのかどうか」という、「分析・加工を経た情報」であり、それがインテリジェンスです。生データではありません

 そしてインテリジェンス情報は、シナリオがあって初めて意味を持ちます。「Bを意味する出来事」の後で、「Cという対応をしたら」「Eという対応をしたら」という想定シナリオがあって初めてBを判断する意味が生まれます。

 そして「想定シナリオ」は各方面のプロフェッショナルが共同作業をしないと作れません。「CをしたらDになり、EをしたらFになる」・・・という事態の展開の読みは、その世界をよく知っているプロにしかできないからです。

 そのため、本来、「想定シナリオ」の作成は政策決定部局と情報機関の中枢メンバーの共同作業です。もしその「想定シナリオ」の作成において、ある領域のプロフェッショナルの声を不当に軽んじると、その領域のプロの目からは「不十分・貧弱・非現実的」なシナリオが作られてしまいかねません。

 当然、想定シナリオが甘いと実際に「Bを意味する出来事」が起きてもそれをBと評価できなかったり、あるいは「Bに近いけれどBではない」というグレーゾーンへの対応策が練られていなかったり、という事態を起こして対応が硬直します。

 いやあ、怖いですねえ。まるでどこかの国で最近あった某出来事のようですね。
 もちろん、それを念頭に置いて書いているわけですが。


 ちなみに、「インテリジェンス」の活かし方を知らない人間が政策決定部局のそれも上層部についたときに起こりがちな現象がいくつかあります。

1.やたらに細かな報告を求め、細かな指示を出したがる
 聞くところによると、某原発事故の際に電源を確保するためのバッテリーのサイズについて報告を求めた総理大臣がいたそうですね。

2.想定シナリオの事前シミュレーションへの参加を嫌がる
 特に、数秒~数分のような短時間での判断を求められる場合には、判断が必要になったときにいちいち想定シナリオを説明してもらう暇がありません。そのため、事前に何種類ものケースを想定したシミュレーションをする事前訓練が欠かせませんが、これにはかなりの手間がかかる割に実際には出現せず、結果として役に立たずに終わるケースが多いものです。そのため危機管理の重要性を分かっていない人物はこれを嫌がります。

3.想定外の事態に遭遇したときに、動きが止まる
 想定シナリオのシミュレーションに積極参加していないと、典型的なケースにしか対応できませんので、当人が想定していなかったレアケースに遭遇したときに「何だ? これは?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」と動きが止まることがあります。人間、予想していない事態に直面すると固まってしまうわけです。

4.現場のインテリジェンスを信用せず、「念を入れてダブルチェック」させたがる
 「念には念を入れて」という姿勢が正しいときもありますが、時間の制約がある中では完全は見込めないので、どうしても「7割方こうだと思われる」というレベルでゴーサインを出さなければいけないことはよくあるものです。それが決断する者の役割なのですが、その責任を負いたくない人間は、しばしば「100%の確証」を求めて現場のインテリジェンスを突きかえすものです。


 え? ますます、どこかの国で最近あった某出来事を思い起こさせますか?

 それは気のせい・・・・・であって欲しいものですが、さてさて。

 (たぶん、続きません)
 
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