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「誰かが教えてくれることを信じるのではなく、自分で考えて行動する」ためには、矛盾だらけの「現実」をありのままに把握することから始めるリアリスト思考が欠かせません。「考える・書く力」の研修を手がける開米瑞浩が、現実の社会問題を相手にリアリスト思考を実践してゆくブログです。

原子力論考(46)意思決定の負担を拒否する思想の甘い罠

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 前回、「アジテーターは善悪二項対立で世界を切り分け、自分たちが善で相手方は悪人であるという演出で大衆扇動をする」と書きました。そしてこの二項対立演出に影響されやすいのが「意思決定の負担を拒否する」という思考バイアスを持つ集団である、とも書きました。これはいったいどういう意味でしょうか。

 それを考えるためにまずちょっと変わったシーンからご覧いただきましょう。
 下記の画像は、「Masterキートン」というマンガの1ページです。
 状況としては、スパイとしてイラクに潜入していたイギリス人が、イラク軍が警戒する中で潜伏場所から脱出しようとしている場面。


浦沢直樹・勝鹿北星「Masterキートン」8巻p.41

 「今日行かなければ私は死んでしまう!!」と必死の形相で叫んでいるのは、彼が持病を抱えていて、薬が切れると死んでしまうという事情によるものです。その薬がもう1日分しかない。薬を入手するために市街に出ると警戒しているイラク軍に見つかる可能性が高い。しかし見つからないようにこのまま潜伏場所に息を潜めていても2日目には死。市街の警戒体制が解けるにはきっと一週間はかかる(ここはマンガの設定とは違いますが話の都合上こう仮定してください)
 前門の虎に後門の狼という状況で、右にも左にも打つ手なしのお手上げ、こんな窮地に陥ることは人生において一度や二度や三度ないとは言えません(・・・・たぶん)。

 こういうときに、「私には生存する権利がある! その権利が保障されないのは基本的人権の侵害だ! イラク政府は私の生存を保障しろ!」なんて主張してみても何の意味もないわけで、生き延びるためにあの手この手を考えて打っていかなければなりません。

 じゃあどういうあの手この手を考えるのか。たとえば、早期脱出を計るなら、という想定で書いた検討チャートがこれです。(このチャートはマンガのストーリーとは関係なく私が書いたものです。いろいろ細かいことを書いてますが特に読まなくてもこの先の話はわかります。暇な方だけ見てみてください(^^ゞ)



 左側の「シナリオ(概要)」が、時間軸を切ってそれぞれ各段階ごとにどんな目標を達成する必要があるかを書き、真ん中の「実施細目」には、そのために具体的に何をやらなければならないかを書いて、右側の「難易度・リスク評価」欄には実施細目の難しさや副作用について書いてあります。右端は色分けされていますが、緑は難易度が低いもの、黄色は不確実性があるもの、ピンクはかえって事態を悪化させうるリスクがあるものを示しています。

 薬が切れるまでの間になんとか脱出を計るならばこの早期脱出プランが必要ですが、しかしこうして考えてみるといかにも黄色やピンクがあって成功率が低そうです。何か他の手はないか? と考えてみると、たとえば次のような「潜伏延長プラン」も考えられます。(これも読まなくても先の話は分かります)



 こちらのほうは「今すぐイギリス人が市街に出るのは危険すぎる」ということで、なんとか薬品を入手してしばらく潜伏を続け、警戒が緩むのを待って脱出を計る、という案。早期脱出プランに比べると黄色やピンクの要素は減っていますが、しかし2週間程度は相対的に危険が少ないというだけで、どのみちいつかは脱出しなければなりませんし、そのときにはまた発見される危険に直面します。

 さて、どちらを選ぶべきか?
 このような状況に置かれると、人は選択を迫られます。
 選択をするためには、自分で考えなければなりません
 そこで「考える」ときに何をするかというと、

 まず、ゴールを設定し(例:イラク軍の手を逃れて国外へ脱出する)、
 そこにたどり着くまでのシナリオを複数考え(例:早期脱出プランと潜伏延長プラン)、
 そのシナリオを適度に詳細化し、
 シナリオごとに「必要な資源」「手順」「メリット・デメリット」「リスク要因」などを整理し、
 それを比較検討して決定する必要があります。



 「自分で考える」というのはこういうことです。何から何まで全部自力でやるわけではありませんが、このプロセスは自分でコントロールしなければならず、特に最初の「ゴール設定」と最後の「決定」は他の誰にもできないものなので、そこは自分で責任を持つ必要があります。
 ところが「自分で考える」のは手間がかかるし、知識と経験を要する上にメンタルストレスも大きいものです。
 特に問題なのはメンタルストレスで、世の中にはこの負担に耐えられない人がどうしても存在します。知識と経験がどんなに豊富であっても、「決める」ストレスへの耐性は別次元らしいんですね。そしてこの負担に耐えられないとこういうことが起きます。

日本企業の欠点としてよく指摘されること
「日本人との商談はなかなか進まない。何かというと『本社に持ち帰って検討』と言い出す。どうして、決められる奴が出て来ないんだ?」

イビチャ・オシム(元サッカー日本代表監督)著「考えよ!- なぜ日本人はリスクを冒さないのか?」 p.98
「日本の選手たちは、状況を変えようとするときに、相手のプレーに応じて1人で反応し、対応することを学んでこなかった。誰かに、いつも何かを言われなければ行動ができない」

湯浅健二(プロサッカーコーチ)著「日本人はなぜシュートを打たないのか?」p.17
「そのときスペースへ上がってパスを受ければ、確実に、最終勝負シーンの主役として仕掛けていかなければならなくなる。それも、受けたボールを別の味方へ展開するのは難しいだろうから、そのままドリブルで、リスキーな最終勝負を仕掛けていかなければならない。ただそこには、リスクヘチャレンジしていくのをためらっている自分がいた。そして結局、ボクは足を止めてしまったのである」

 困難な状況に置かれたとき、オシムの発言にあるように、「誰かに何かを言われなければ行動が出来ない」人は確かに少なからずいます。
 そういう人は「どうするか自分で考えよう」とはせず、「誰かに教えてもらおう」として教えてくれる人を探しますが、それに加えて「そもそも私をこの困難な状況に陥れた奴が悪い、私は犠牲者であり被害者だ」という方向に意識が働き、「責任者を出せ!」と言って責任追及を始め、「絶対安全安心を保障しろ」と詰め寄って行政をゆがめる一因になります。



 ダイオキシン問題やBSE問題もそうですし、沖縄での青森の雪イベント拒否問題、震災がれき広域処理問題など、この種の経過をたどる問題は数限りなくあります。この4月から始まった食品の残留放射能規制もそうです。

 結局こういう過敏な反応の根底にあるのは、「思考の他者依存性」です。要は「自分で決めたくない」わけです。

 「決める」という行為はどうしてもリスクを負うことになります。
 冒頭で紹介したマンガのイギリス人のように、「早期脱出 or 潜伏延長」の決断を迫られたとき、どちらを取ってもそれぞれ質の違う危険性があるだけで、どちらにも「絶対確実な安全」はありません。
 そのリスクテイクの心理的な負担に耐えられないと、「決めてくれる」他人に依存するようになります。

 こういう心理を知っているアジテーターの手にかかると、他者依存性の高い人間をコントロールするのは簡単なんです。

 コントロールの対象者にとって「困難な状況」が発生したときに(例:原発事故)、

 一見分かりやすい答を提示した上で(例:とにかく危険だから避難しなさい)、

 「そもそもあなたをこんな状況に陥れた悪者がいるのです」と攻撃対象を指し示し

 「責任者を徹底追及する姿勢」をお手本として演じ、

 「絶対安全安心を保障しろ」と要求して(例:残留放射能不検出以外は認めない厳しい規制を求める) やればいいわけです。

 この論理構成は「他者依存性の高い思考習慣」にピタリとはまるので容易に受け入れられます。逆に、「自分で考えましょう。そのためにはまずシナリオを考えて根拠を集めて・・・」という、自立的な思考習慣を持つ人向きの話をしても、根本的な思考習慣に合わないのでほとんど通じません。

   (つづく)
 

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