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「誰かが教えてくれることを信じるのではなく、自分で考えて行動する」ためには、矛盾だらけの「現実」をありのままに把握することから始めるリアリスト思考が欠かせません。「考える・書く力」の研修を手がける開米瑞浩が、現実の社会問題を相手にリアリスト思考を実践してゆくブログです。

原子力論考(41)反体制運動のビジネスモデル

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 開米さんいいかげんにやめてください、とそろそろ言われそうな予感ですが、それでもまだ続ける原子力論考です。

 さて今回は、原子力というよりは「反体制運動」そのものに広く存在する病理の話をしましょう。
 その前に念のために「反体制運動」と「体制側」という用語について説明すると、これらは学生運動華やかなりし1960~70年代に使われていた用語で、「体制側」というのは「権力を握って現在の社会を支配している側」のことを指し、「反体制運動」はその「体制」を打倒しようとする運動のことを言います(*1 後述)。

 この「反体制運動」が成り立つ仕組みを観察してみると、1960年代から現在に至るまで延々とあるひとつの「ビジネスモデル」があることに気がつきます。それが下記チャート。


    

 このビジネスモデルには悪役を務める「体制側」の人と組織が必要です。つまりは時代劇で言うところの悪代官と御用商人です。
 「体制側は悪者であり、彼らの悪行によるかわいそうな犠牲者がいる」というのがこのビジネスモデルの大前提。そして「善意の活動家」がいて、体制側の悪行を告発するポジションをとります。そして「一般市民」から「体制側」へ抗議の声が上がるように市民を扇動し、一方で一般市民に対して「かわいそうな犠牲者」にならないための「自己防衛グッズ」のような商売を始めるわけです。
 これは何十年にもわたって繰り返されてきた「反体制運動のビジネスモデル」ですし、実際、反原子力運動についてもこのパターンは昔から存在しました。
 だから、一年前に福島原発事故が起きたとき、「善意の活動家」達が一斉に動きだし、このビジネスモデルを活発化させるであろう、ということは簡単に予測できました。

 このビジネスモデルが成り立つために必要なのは、わかりやすい悪役を務める「体制側」の人と組織に加えて、「かわいそうな犠牲者」が不可欠です。「犠牲者」がいれば、その悲劇を強調し、市民の抗議の声を扇動することも、恐怖に駆られた市民に対して自己防衛グッズを販売することも容易になるからです。

 そのため、「善意の活動家」達は「かわいそうな犠牲者」を鵜の目鷹の目で探し始めます。もちろん、原発事故とそれにともなう避難区域の設定によって住むところを追われ、事業継続が不可能になった住民はそれに当てはまりますが、それだけでは足りない・・・と彼らは考えます。「ビジネスモデル」的に望ましいのは、死亡や発がん、奇形といった「明白な健康被害」なんですね。

 それを念頭に置いて、「善意の活動家」の発言を注意深く見るようにしてください。善意の活動家達は、「かわいそうな犠牲者」になりうる候補を見つけると、因果関係の検証もせずにいっせいにそれに飛びつきます。

岩上安身の2011年12月4日のツイートとその周辺の反応
http://togetter.com/li/222973
急性リンパ性白血病で死んだ釣り好き青年の死因を放射能のせい、とするデマ
http://togetter.com/li/220310 http://togetter.com/li/220158
郡山からの避難者に甲状腺がんの疑い、というデマ
http://togetter.com/li/262782

ちなみに原子力デマについては古典的なものとしてこういうものもあります。
原発がどんなものか知って欲しい (平井文書)
↑リンクは示しませんが、検索すればすぐ出てきます。原子力関係では有名なデマ文書ですから本気にしないでください。

 なぜ善意の活動家達はこういうデマに飛びつくのか?
 それは結局のところ、そういう象徴的なわかりやすい「犠牲者」がいないと「ビジネスモデル」が成り立たないからです。
 福島原発事故の発生直後と違って、今では流出した放射性物質の測定も進みましたし、放射線自体の生体への影響に関する知識も普及して、「福島原発事故によって流出した放射性物質の影響による死者は1人も出ないだろうし、軽微な健康被害さえ1人も出ないだろう」という判断が最も有力になってきました。

 こういう時期になると、「活動家」達の中には焦ってよりその言動を過激化させ、自滅の道をたどる者が出てきます。かつて学生運動華やかなりし時代には、そうして過激化した集団が最後には企業テロで市民を殺傷し、内ゲバに走って仲間も殺し、ついにはあさま山荘事件などを起こして影響力を失ってゆきました。

 現在、「脱原発」の運動をしているグループも、自然消滅してくれれば良いのですが、中にはかえって過激化していくものが出てくることもありえます。ですから、もし身近な誰かがそれらのグループと関わっているのであれば、そろそろ引き戻すためにコンタクトを取るべきタイミングですね。

 ちなみに、1960~70年代に学生運動の中心を担っていたのは「上京して単身でアパートに住んでいる地方出身の学生」でした。「ご近所とのありふれた人間関係」から切り離された人間は、過激な運動に取り込まれやすいからです。このことは逆に言うと、「ありふれた日常のコミュニケーションを維持すること」が、カルト的運動への傾倒防止・離脱促進のために有効だということです。



*1 フランス革命は「聖職者と貴族が権力を持つ体制=アンシャン・レジーム」を打倒して「市民」が権力を得た革命であり、貴族・聖職者どうしの権力交代劇しか存在しなかったそれ以前とは一線を画すものでした。そのため、「所詮は貴族・聖職者階級の権力闘争」であったそれまでの政治体制のことを「旧体制」と呼び、「旧体制」自体が打倒されるべきものである、とする思想が生まれました。
 「いまの国王は悪い国王だから、追放して良い国王を据えよう」というのが「旧体制」のしくみ、「国王というものが存在すること自体が悪である」というのが革命派の主張です。したがって、「体制側」という用語は、その体制の打倒を企てる反体制活動家が使う用語でした。


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