原子力論考(3) 一休みして、電力事業に従事される方々への感謝を捧げます
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原子力論考の3本目です。本当は今回は「放射線はどれぐらい危険なの? Part.2」のはずだったのですが、予定を変更して「電力事業に従事される方々への感謝を捧げます」というテーマで行きます。
理由ですか?
原発事故を防げなかったことで、一斉にあちらこちらから叩かれまくりの東京電力さんですが、こんなときだからこそ、日頃から電力の安定供給に日夜努力を投じてくれていることへの感謝を表明したいと思うのです。
(なお、東京電力だけが電力の仕事をしているわけではありませんので、「電力事業に従事される方々へ」としてあります)
■「停電」は毎年必ず起こっていた
30数年前、私は東北地方の積雪地で暮らしていました。
そのころ、「停電」は毎年何度か必ず起こっていました。東京ではなかなかありませんが、積雪地はどうしても停電が多いんですね。
特に起きやすかったのが冬、猛吹雪が吹くときです。
その地方は厳冬期は日本海から吹き付ける風で猛烈な吹雪が起きるので有名で(近年はそれを観光資源にしようとして地吹雪体験ツアーが企画されるぐらいですから(笑))この吹雪で送電線がやられるのか、よく停電したものです。ちなみにこういう停電は地域単位ではなく家一軒単位で起きました。
そういうときは電力会社に電話するとすぐに飛んできて直してくれます。さすがに猛吹雪の間ではなかったと思いますが、それでも氷点下5度とかの冷たい風が吹く中で電柱に登って直してくれるわけです。
電力供給のインフラというのは、こういう仕事をする人の手で支えられています。
そして大人になってからわかったのは、この種のインフラの品質というのは、設備機材への投資だけでなく、保守運用する「人」のプライドと使命感で支えられているということです。
■最後に品質を担保するのは、人のモチベーション
平常時は注意深く設備をチェックし、発生しうるトラブルを未然に防ぐための手を打ち、トラブルが起きた時は雨も雪も風も乗り越えて現場に向かい、復旧作業に当たる。その作業にしても、たとえば電線一本つなぐにしても、とりあえず電気が通ればいいや、というやっつけ仕事と、少々のことでは故障しないように最新の注意を払ってつなぐ仕事では違うわけです。
もちろん、作業マニュアルはあるでしょう。「この作業についてはこれこれの手順で行い、これこれの基準を達成したことを確認して完了とする」といった規定はおそらくあることでしょう。決められた手順通りにやってるだけ、かもしれません。
でも、実際に現場に出て作業をしてみればわかります。「マニュアル通り」の作業をしたとしても、その品質には天と地の違いがあることを。(私は別に電力の仕事をしたわけではありませんが、どんな仕事でもここは同じでしょう)
もちろん、品質をコントロールする手法というものも存在しますし、プライドだけで品質が保たれるわけではありません。
しかし、たとえば統計的な品質管理を行って「○○作業のミスによる故障が多いので○○作業を改善すべし」といった手がかりが得られたとしても、それは手がかりでしかありません。実際に個別の「○○作業」においてその品質を実現するのは、その都度その作業を行う担当者の集中力でありスキルでありプライドなのです。
■仕事なんだからやって当たり前・・・・じゃ、ないよね?
停電するとすぐにやってきて氷点下5度の風の中で電柱に登って直してくれた保守作業員に直接聞いたわけではありませんが、私は彼らは電力供給に関わる者としてのプライドを持って仕事をしてくれたと思っています。
自分が仕事をすることで、停電した家庭に電気がつながり、明るさが戻る。逆にいいかげんな仕事をすると停電が増えて暗闇に沈んでしまう。
そう思えば、氷点下5度だろうが10度だろうが私も電柱に登るでしょう。そして、電力が戻って再び一家団欒を始める家庭を思ってほっと一息つきながら帰っていくことでしょう。
なにも末端の現場で電柱に登っている下請け作業員だけでなく、発電所から送電・変電の電力系統の隅々で保守運用に携わる人々がいて、その人たちの電力供給にかけるプライド、モチベーションによってインフラが維持されていることは忘れないでおきたいと思っています。(おっと、発電のための燃料を調達する人もいれば発電所を建てるための交渉をする人もいます。資金調達をする人も、政治家を動かす人だって欠かせません)
日本では、「電力はあるのが当たり前、停電するなんてもってのほか、電圧も周波数も安定していて当たり前」という時代が長く続きました。これは世界的にはほとんど例のないことです。そのために、電力インフラというものが、いかに多くの人々の真摯な努力で支えられているかということもわからなくなっているのではないでしょうか?
仕事なんだから、やるのが当たり前、ですか?
私はそうは思いません。給料分の仕事はするよ、というような意識を越えて、プライドを持って日々保守運用に当たる大勢の人の努力無しには、こんな高品質な電力供給が出来るはずがないのです。
電力会社は地域独占会社で優遇されすぎているとか、官僚的だとか優良企業であることを鼻にかけて鼻持ちならないとか、そんな批判もよく聞きますし、それが間違っている、とは、実は私も思いません。けれど、だからといって現に今まで電力インフラを支えてきてくれたことへの感謝は忘れないようにしたいのです。
■原発事故対応が進行中だからこそ、バッシングは控えたい
絶対安全だと言っていたのにそうじゃなかった。見通しが甘すぎた。危険性が指摘されていたのに対応していなかった。発表がころころ変わって信用がおけない、計画停電が不公平だ、等々、東京電力に対して批判を言いたい気持ちがあるのはまあ仕方がないと思います。
でも、原発事故対応が進行中の今だからこそ、批判よりも応援したい。私はそう思っています。実際のところ、私は職種から言っても停電で直接大きな損害を被るわけでもなく、原発事故による放射性物質を浴びたわけでもないので、こんなことが言えるのかもしれませんが、1人ぐらいはこんな人間がいてもいいでしょう。
ま、1人だけではないと思いますが(笑)
では、また。「原子力論考」はまだ続きます。
■開米の原子力論考一覧ページを用意しました。
→原子力論考 一覧ページ
理由ですか?
原発事故を防げなかったことで、一斉にあちらこちらから叩かれまくりの東京電力さんですが、こんなときだからこそ、日頃から電力の安定供給に日夜努力を投じてくれていることへの感謝を表明したいと思うのです。
(なお、東京電力だけが電力の仕事をしているわけではありませんので、「電力事業に従事される方々へ」としてあります)
■「停電」は毎年必ず起こっていた
30数年前、私は東北地方の積雪地で暮らしていました。
そのころ、「停電」は毎年何度か必ず起こっていました。東京ではなかなかありませんが、積雪地はどうしても停電が多いんですね。
特に起きやすかったのが冬、猛吹雪が吹くときです。
その地方は厳冬期は日本海から吹き付ける風で猛烈な吹雪が起きるので有名で(近年はそれを観光資源にしようとして地吹雪体験ツアーが企画されるぐらいですから(笑))この吹雪で送電線がやられるのか、よく停電したものです。ちなみにこういう停電は地域単位ではなく家一軒単位で起きました。
そういうときは電力会社に電話するとすぐに飛んできて直してくれます。さすがに猛吹雪の間ではなかったと思いますが、それでも氷点下5度とかの冷たい風が吹く中で電柱に登って直してくれるわけです。
電力供給のインフラというのは、こういう仕事をする人の手で支えられています。
そして大人になってからわかったのは、この種のインフラの品質というのは、設備機材への投資だけでなく、保守運用する「人」のプライドと使命感で支えられているということです。
■最後に品質を担保するのは、人のモチベーション
平常時は注意深く設備をチェックし、発生しうるトラブルを未然に防ぐための手を打ち、トラブルが起きた時は雨も雪も風も乗り越えて現場に向かい、復旧作業に当たる。その作業にしても、たとえば電線一本つなぐにしても、とりあえず電気が通ればいいや、というやっつけ仕事と、少々のことでは故障しないように最新の注意を払ってつなぐ仕事では違うわけです。
もちろん、作業マニュアルはあるでしょう。「この作業についてはこれこれの手順で行い、これこれの基準を達成したことを確認して完了とする」といった規定はおそらくあることでしょう。決められた手順通りにやってるだけ、かもしれません。
でも、実際に現場に出て作業をしてみればわかります。「マニュアル通り」の作業をしたとしても、その品質には天と地の違いがあることを。(私は別に電力の仕事をしたわけではありませんが、どんな仕事でもここは同じでしょう)
もちろん、品質をコントロールする手法というものも存在しますし、プライドだけで品質が保たれるわけではありません。
しかし、たとえば統計的な品質管理を行って「○○作業のミスによる故障が多いので○○作業を改善すべし」といった手がかりが得られたとしても、それは手がかりでしかありません。実際に個別の「○○作業」においてその品質を実現するのは、その都度その作業を行う担当者の集中力でありスキルでありプライドなのです。
■仕事なんだからやって当たり前・・・・じゃ、ないよね?
停電するとすぐにやってきて氷点下5度の風の中で電柱に登って直してくれた保守作業員に直接聞いたわけではありませんが、私は彼らは電力供給に関わる者としてのプライドを持って仕事をしてくれたと思っています。
自分が仕事をすることで、停電した家庭に電気がつながり、明るさが戻る。逆にいいかげんな仕事をすると停電が増えて暗闇に沈んでしまう。
そう思えば、氷点下5度だろうが10度だろうが私も電柱に登るでしょう。そして、電力が戻って再び一家団欒を始める家庭を思ってほっと一息つきながら帰っていくことでしょう。
なにも末端の現場で電柱に登っている下請け作業員だけでなく、発電所から送電・変電の電力系統の隅々で保守運用に携わる人々がいて、その人たちの電力供給にかけるプライド、モチベーションによってインフラが維持されていることは忘れないでおきたいと思っています。(おっと、発電のための燃料を調達する人もいれば発電所を建てるための交渉をする人もいます。資金調達をする人も、政治家を動かす人だって欠かせません)
日本では、「電力はあるのが当たり前、停電するなんてもってのほか、電圧も周波数も安定していて当たり前」という時代が長く続きました。これは世界的にはほとんど例のないことです。そのために、電力インフラというものが、いかに多くの人々の真摯な努力で支えられているかということもわからなくなっているのではないでしょうか?
仕事なんだから、やるのが当たり前、ですか?
私はそうは思いません。給料分の仕事はするよ、というような意識を越えて、プライドを持って日々保守運用に当たる大勢の人の努力無しには、こんな高品質な電力供給が出来るはずがないのです。
電力会社は地域独占会社で優遇されすぎているとか、官僚的だとか優良企業であることを鼻にかけて鼻持ちならないとか、そんな批判もよく聞きますし、それが間違っている、とは、実は私も思いません。けれど、だからといって現に今まで電力インフラを支えてきてくれたことへの感謝は忘れないようにしたいのです。
■原発事故対応が進行中だからこそ、バッシングは控えたい
絶対安全だと言っていたのにそうじゃなかった。見通しが甘すぎた。危険性が指摘されていたのに対応していなかった。発表がころころ変わって信用がおけない、計画停電が不公平だ、等々、東京電力に対して批判を言いたい気持ちがあるのはまあ仕方がないと思います。
でも、原発事故対応が進行中の今だからこそ、批判よりも応援したい。私はそう思っています。実際のところ、私は職種から言っても停電で直接大きな損害を被るわけでもなく、原発事故による放射性物質を浴びたわけでもないので、こんなことが言えるのかもしれませんが、1人ぐらいはこんな人間がいてもいいでしょう。
ま、1人だけではないと思いますが(笑)
では、また。「原子力論考」はまだ続きます。
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