指示待ち族を増やすための冴えたやり方・・・いや、増えちゃ困るって
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前回に引き続き、「食中毒予防のポイントを教える」話です。
前回は「目的」とその「背景」について書きましたが、今回は「課題」と「手順」のところを中心に考えます。
例えばこの一言ですが、
先生:大事なのは、まずは、手を洗うこと。忘れないでね。
これは「課題」でしょうか、それとも「手順」でしょうか。
4/22の記事中で課題と手順について説明してありますが、一例を挙げると
目的:カップラーメンを食べたい
課題:お湯を沸かす
手順:やかんに水を入れてコンロにかけて火をつける
といった関係があります。
さて、「手を洗うこと」は、上記「目的・課題・手順」のどれに一番近いでしょうか?
と考えると、こういう関係なんですね。
目的:食中毒を防ぐ
課題:(不明)
手順:手を洗う
つまり、先生は「手順を説明しているけれど、課題に触れていない」ことになります。
以下すべて同様で、この先生は「課題」をまったく語っていません。
「言われたことをやるだけの操り人形・指示待ち族」を作るならこういう教え方でいいんですが、自分で考えて自律的に行動できる人材を育てたいならこれじゃダメですね。
というわけで、ちょっと改良してみましょう。たとえばこんな風になります。
とまあこういう形で、「手を洗う」という「手順」に、関連する「課題」と「目的」、その課題の背後にある「メカニズム」を交えて話をすることが肝心です。
でもなかなかこういう教え方はできません。できない理由をいくつか挙げてみましょう。
■質問をする余裕がない
教える側に余裕がないと、学習者に対して「質問」をする余裕がなくなります。下手に質問をして返ってきた答えが予想外のものだったとき、あるいはそもそも返事が来ない場合、そのリカバリーをするには教える側に一定以上の力量が必要なんですね。そこでその余裕がないときは得てして「教科書読み上げ」のような、一方的な説明に終わりがちです。
■メカニズムを省略してしまう
「メカニズム」の話は地味でしかも場合によっては難解なので、省略したくなることがあります。
という方向に流れると「理由がわからず指示だけされる」ことになり、長期的な成長が見込めません。そうして指示だけされた社員が3年経って教育係のほうに回るともはや教える方もメカニズムを知らないままで教えることになり、「マニュアル頼みの仕事」となって技術継承は破綻します。
■ヒントを出す小技を知らない
たとえば質問1のやりとりを見てみましょう。
「わざとらしく両手を開いて見せる」ことでヒントを出しているので、そのヒントをやめるとこの質問の難易度が上がります。
「難易度のコントロール」は人に知識・技能を教えるときの非常に重要な課題であって、学習者のメンタルや知識レベルに応じて千差万別な対応が必要であり、その難易度を調整するために、「ヒント」を使います。これがうまくできないと質問が難しすぎたり簡単すぎたりすることになり、いろいろと弊害を生じるんですね。
■適切な質問を選べない
質問1と質問2はこの順番に出さなければいけません。順番が逆だと機能しないわけです。ということは、「教える」側は、どんな質問をどの順番で出すかを事前に十分考えて準備しておかなければいけませんが、普段から教える仕事をしていないとこれがなかなか難しいものです。
■学習者の経験への関連づけをしていない
ちょうどこの発言のところですが、
先生:そう! それそれ! お母さんに言われたでしょ?(経験との関連づけ)
「手を洗いなさい」と母親に怒られた経験は多くの子供が持っている、ということを想定して、「学習者が既に持っている経験のなかに、新しい知識を関連づけて埋め込む」というトークをしてますね。
4/23の記事中の図を再掲しますが、
新しい知識(学習中のナレッジ(K))は、学習者が既に持っているベース・ナレッジに組み入れられなければなりません。「実は意識せずにやっていたことに意味がある」ならばそれをはっきり示してあげることは非常に効果的なのです。
逆に、それをしないとすぐに忘れられやすくなります。
ざっと以上ですが、こんな配慮をして「手順を逐一指示するのではなく、学習者がそれを発見するように仕向ける」のは、「指示待ち族を脱却して、自分で考えられる人材」を育てるための大事なポイントなのです。
(ただし、「指示待ち族」問題についてはもっとずっと根深い原因がある、と私は考えてまして、このレベルの配慮で何とかなるなら症状は軽いぞ、という感覚ですが、話がそれるのでこの稿では書きません)。
逆に、これらの配慮をせずに「一方的に手順を指示する」のは、「指示待ち族を増やすための冴えたやり方」と言えるわけですね(笑)
(続く)
前回は「目的」とその「背景」について書きましたが、今回は「課題」と「手順」のところを中心に考えます。
例えばこの一言ですが、
先生:大事なのは、まずは、手を洗うこと。忘れないでね。
これは「課題」でしょうか、それとも「手順」でしょうか。
4/22の記事中で課題と手順について説明してありますが、一例を挙げると
目的:カップラーメンを食べたい
課題:お湯を沸かす
手順:やかんに水を入れてコンロにかけて火をつける
といった関係があります。
さて、「手を洗うこと」は、上記「目的・課題・手順」のどれに一番近いでしょうか?
と考えると、こういう関係なんですね。
目的:食中毒を防ぐ
課題:(不明)
手順:手を洗う
つまり、先生は「手順を説明しているけれど、課題に触れていない」ことになります。
以下すべて同様で、この先生は「課題」をまったく語っていません。
「言われたことをやるだけの操り人形・指示待ち族」を作るならこういう教え方でいいんですが、自分で考えて自律的に行動できる人材を育てたいならこれじゃダメですね。
というわけで、ちょっと改良してみましょう。たとえばこんな風になります。
先生:食中毒っていうのはね、食中毒原因菌が繁殖した食べ物を食べることで起きるの。(メカニズム)
生徒:はい。
先生:(わざとらしく両手を開いて見せながら) 食中毒原因菌ってどこにいると思う? (質問1)
生徒:手・・・ですか? (解答1)
先生:そう! ハッキリ言ってどこにでもいるから、手にもいっぱいついてるわけ。普段は別に無害なんだけど、料理をするときに食べ物に移って繁殖されちゃうと困るの。どうすればいいと思う? (質問2)
生徒:え、じゃあ・・・あ、だから手を洗うんですか? (解答2)
先生:そう! それそれ! お母さんに言われたでしょ?(経験との関連づけ) 手を洗うと原因菌を減らせる(課題)から、食中毒の予防になる(目的)わけ。わかった?
生徒:そういうことだったんだ・・・!
とまあこういう形で、「手を洗う」という「手順」に、関連する「課題」と「目的」、その課題の背後にある「メカニズム」を交えて話をすることが肝心です。
でもなかなかこういう教え方はできません。できない理由をいくつか挙げてみましょう。
■質問をする余裕がない
教える側に余裕がないと、学習者に対して「質問」をする余裕がなくなります。下手に質問をして返ってきた答えが予想外のものだったとき、あるいはそもそも返事が来ない場合、そのリカバリーをするには教える側に一定以上の力量が必要なんですね。そこでその余裕がないときは得てして「教科書読み上げ」のような、一方的な説明に終わりがちです。
■メカニズムを省略してしまう
「メカニズム」の話は地味でしかも場合によっては難解なので、省略したくなることがあります。
「この話始めたら3時間かかるな・・・
その間俺の仕事はできないし・・・
しょうがない、5分で指示だけ出して作業やらせておくか」
という方向に流れると「理由がわからず指示だけされる」ことになり、長期的な成長が見込めません。そうして指示だけされた社員が3年経って教育係のほうに回るともはや教える方もメカニズムを知らないままで教えることになり、「マニュアル頼みの仕事」となって技術継承は破綻します。
■ヒントを出す小技を知らない
たとえば質問1のやりとりを見てみましょう。
先生:(わざとらしく両手を開いて見せながら) 食中毒原因菌ってどこにいると思う? (質問1)
生徒:手・・・ですか? (解答1)
「わざとらしく両手を開いて見せる」ことでヒントを出しているので、そのヒントをやめるとこの質問の難易度が上がります。
「難易度のコントロール」は人に知識・技能を教えるときの非常に重要な課題であって、学習者のメンタルや知識レベルに応じて千差万別な対応が必要であり、その難易度を調整するために、「ヒント」を使います。これがうまくできないと質問が難しすぎたり簡単すぎたりすることになり、いろいろと弊害を生じるんですね。
■適切な質問を選べない
質問1と質問2はこの順番に出さなければいけません。順番が逆だと機能しないわけです。ということは、「教える」側は、どんな質問をどの順番で出すかを事前に十分考えて準備しておかなければいけませんが、普段から教える仕事をしていないとこれがなかなか難しいものです。
■学習者の経験への関連づけをしていない
ちょうどこの発言のところですが、
先生:そう! それそれ! お母さんに言われたでしょ?(経験との関連づけ)
「手を洗いなさい」と母親に怒られた経験は多くの子供が持っている、ということを想定して、「学習者が既に持っている経験のなかに、新しい知識を関連づけて埋め込む」というトークをしてますね。
4/23の記事中の図を再掲しますが、
新しい知識(学習中のナレッジ(K))は、学習者が既に持っているベース・ナレッジに組み入れられなければなりません。「実は意識せずにやっていたことに意味がある」ならばそれをはっきり示してあげることは非常に効果的なのです。
逆に、それをしないとすぐに忘れられやすくなります。
ざっと以上ですが、こんな配慮をして「手順を逐一指示するのではなく、学習者がそれを発見するように仕向ける」のは、「指示待ち族を脱却して、自分で考えられる人材」を育てるための大事なポイントなのです。
(ただし、「指示待ち族」問題についてはもっとずっと根深い原因がある、と私は考えてまして、このレベルの配慮で何とかなるなら症状は軽いぞ、という感覚ですが、話がそれるのでこの稿では書きません)。
逆に、これらの配慮をせずに「一方的に手順を指示する」のは、「指示待ち族を増やすための冴えたやり方」と言えるわけですね(笑)
(続く)
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