自分で「推論」していない結論を納得することは難しい
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昨日の「知識だけでは適切な判断はできない、けれど・・・・」の続きです。
現在は「専門分野のことは専門家にまかせておけばいい」とは言えない時代になっています。現在進行中の原発事故関係の情報はその最たるもので、「専門家」の下す判断とその説明が国民に信用されない、という事態が起きてしまっています。
専門家 :これこれこういう理由でこのような処置を行います。
一般市民:本当かよ! 信用できん!! きちんと説明しろ!!
専門家 :ですから申し上げたとおり・・・・
一般市民:その説明じゃわからんと言ってるんだ!
こういう状態はなかなか解決するのが難しいですね。問題点はおおまかに3つあります。
1番の「相互不信」というのは非常にやっかいな問題で、私にはなんとも言いようがありません。ここは結局のところは技術の問題ではなく、政治つまりは人事の問題に帰着するような気はしますが、何にしても私にはよくわからない世界です。
それに比べると2番と3番のほうはやりようがあります。
3番のほうは基本的には学校教育をいかに充実させるかということに尽きます。 社会に出る前の段階で基本的なリテラシーを身につけさせることに全力を注がなければいけません。
2番については、要は「専門家」が説明能力を上げればいいわけです。一筋縄ではいきませんが、これは可能なこと。そして実は私の本職はこの領域のトレーニングです。
今までそんなこと考えてもみなかったから無理、と思う方もいるかもしれませんが、あきらめないでください。実は単に「やったことがないから出来ない」だけで、まじめに練習するとあっという間にうまくなるケースがよくあります。中にはほんの数分練習するだけでテキメンに効果を発揮するテクニックもありますので、(→「ゼスチャー」の基本その1:ヒジを伸ばす ) こういったちょっとしたテクニックでできる工夫はぜひしてみてください。
とはいえ、この種のプレゼンスキルではどうにもならない領域もあります。
(1)説明したいテーマが技術的に難解であり
(2)その難解な内容を理解してもらえないと納得が得られない
という場合は、プレゼンスキルだけではどうにもなりません。基盤に存在する「技術的背景」を素人向けに説明しなければならない、という壁は、ゼスチャーや話し方では解決しないのです。(ちなみに、論理構成が良ければよいか、というとそれだけでもダメです)
こういう場合によく使われるのが「たとえ話」ですが、「たとえ話」というのはかなり危険な方法で、わかりやすくしようと「たとえ話」をしたがためにかえって誤解を招いているケースも多々あります。
それでは、難解な技術的背景を、素人に理解してもらうためにはどうすればいいのか?
ここで有益なのが、「感覚的に操作可能なモデル」を考案するという方法です。
言い換えますと、「安易なたとえ話」ではなく、「精密に練り込まれたたとえ話」を使う方法です。
問題の本質を的確に反映するような、巧妙なたとえ話を使うと、
なるほど! そういうことなんですか、よくわかりました!
と言ってもらえる可能性が高まります。
では、具体的にその「精密に練り込まれたたとえ話」=「感覚的に操作可能なモデル」を使う事例を見てみましょう。
3月11日に東日本大震災が発生した後、東京電力・東北電力管内では発電能力の喪失により、地域ごとに順番に停電していく「計画停電」を実施せざるを得なくなりました。
この「計画停電」について、異例の事態ゆえに発表当初はさまざまな混乱が見られ、計画停電の必要性事態を疑う声も多かったものです。
こういった不満の声が多々あったんですね。もちろん、こういう不満の声の背景には「相互不信」があります。相互不信という感情的な問題自体はロジックでは解決しません。
しかし、電力システムに関する技術的背景が分かっていれば、計画停電の必要性自体に対する疑問の声はそれほど多くは出ないはずなのです。ではその電力システムに関する技術的背景とは何か、というとたとえばこういう話です。
こんな説明を聞いたことのある方も多いことでしょう。さて、どの程度納得が行きますか?
というような感想を持ってモヤモヤしたまま、つまりよくわからないまま「仕方がない」と諦めてしまう人が少なからずいるはずです。
「説明1」は、計画停電の必要性の説明としての事実関係は完全に正しいものです。そして、特に難しい表現で書かれているわけでもなく、中学生でもわかるような内容です。
それでも、「よくわからない」というモヤモヤ感は残るんですね。なぜそんなモヤモヤ感が残るかというと、
結論だけを説明されていて、結論を出す過程の推論を自分でしていないから
です。
「電力消費量が発電量を上回ると、予測不能の大規模停電を引き起こす」
これは、電力システムのしくみを分かっている人が考えて出した「結論」です。
結論だけを言われても、人はなかなか「なるほど、わかった!」にはなりません。
結論を導くに至る「前提知識」を持って、自分自身で「推論」をして「ひょっとして、こうなるんですか?」と仮説を立てることができれば、そしてそれが肯定されれば、「なるほど、わかった!」になりますが、「前提知識」なしで「結論」だけ示されても、なにか誤魔化されているようなモヤモヤ感が残るものなんです。
とはいえ、高度に専門的な分野の場合、いちいち「前提知識」を事細かに説明している暇はありません。だから、「結論だけを説明するのもやむを得ない」と思いがちです。
が、そこで少し待ってください。厳密な「前提知識」を説明して理解させるのは無理でも、よく似たモデルを提示して「推論」の疑似体験をさせることは可能なのです。
続き→「精密に練り込まれたたとえ話で「推論」を疑似体験してもらう法」。
現在は「専門分野のことは専門家にまかせておけばいい」とは言えない時代になっています。現在進行中の原発事故関係の情報はその最たるもので、「専門家」の下す判断とその説明が国民に信用されない、という事態が起きてしまっています。
専門家 :これこれこういう理由でこのような処置を行います。
一般市民:本当かよ! 信用できん!! きちんと説明しろ!!
専門家 :ですから申し上げたとおり・・・・
一般市民:その説明じゃわからんと言ってるんだ!
こういう状態はなかなか解決するのが難しいですね。問題点はおおまかに3つあります。
- 「専門家」と「素人」の相互不信
- 「専門家」側の説明能力不足
- 「素人」側のリテラシー不足
1番の「相互不信」というのは非常にやっかいな問題で、私にはなんとも言いようがありません。ここは結局のところは技術の問題ではなく、政治つまりは人事の問題に帰着するような気はしますが、何にしても私にはよくわからない世界です。
それに比べると2番と3番のほうはやりようがあります。
3番のほうは基本的には学校教育をいかに充実させるかということに尽きます。 社会に出る前の段階で基本的なリテラシーを身につけさせることに全力を注がなければいけません。
2番については、要は「専門家」が説明能力を上げればいいわけです。一筋縄ではいきませんが、これは可能なこと。そして実は私の本職はこの領域のトレーニングです。
今までそんなこと考えてもみなかったから無理、と思う方もいるかもしれませんが、あきらめないでください。実は単に「やったことがないから出来ない」だけで、まじめに練習するとあっという間にうまくなるケースがよくあります。中にはほんの数分練習するだけでテキメンに効果を発揮するテクニックもありますので、(→「ゼスチャー」の基本その1:ヒジを伸ばす ) こういったちょっとしたテクニックでできる工夫はぜひしてみてください。
とはいえ、この種のプレゼンスキルではどうにもならない領域もあります。
(1)説明したいテーマが技術的に難解であり
(2)その難解な内容を理解してもらえないと納得が得られない
という場合は、プレゼンスキルだけではどうにもなりません。基盤に存在する「技術的背景」を素人向けに説明しなければならない、という壁は、ゼスチャーや話し方では解決しないのです。(ちなみに、論理構成が良ければよいか、というとそれだけでもダメです)
こういう場合によく使われるのが「たとえ話」ですが、「たとえ話」というのはかなり危険な方法で、わかりやすくしようと「たとえ話」をしたがためにかえって誤解を招いているケースも多々あります。
それでは、難解な技術的背景を、素人に理解してもらうためにはどうすればいいのか?
ここで有益なのが、「感覚的に操作可能なモデル」を考案するという方法です。
言い換えますと、「安易なたとえ話」ではなく、「精密に練り込まれたたとえ話」を使う方法です。
問題の本質を的確に反映するような、巧妙なたとえ話を使うと、
なるほど! そういうことなんですか、よくわかりました!
と言ってもらえる可能性が高まります。
では、具体的にその「精密に練り込まれたたとえ話」=「感覚的に操作可能なモデル」を使う事例を見てみましょう。
3月11日に東日本大震災が発生した後、東京電力・東北電力管内では発電能力の喪失により、地域ごとに順番に停電していく「計画停電」を実施せざるを得なくなりました。
この「計画停電」について、異例の事態ゆえに発表当初はさまざまな混乱が見られ、計画停電の必要性事態を疑う声も多かったものです。
- 本当は計画停電など必要ないのに、原子力が必要だというキャンペーンのためにわざとやっているんだろう
- まずは節電努力をうながすべきなのに、いきなり停電させるなんて順番が違うじゃないか
こういった不満の声が多々あったんですね。もちろん、こういう不満の声の背景には「相互不信」があります。相互不信という感情的な問題自体はロジックでは解決しません。
しかし、電力システムに関する技術的背景が分かっていれば、計画停電の必要性自体に対する疑問の声はそれほど多くは出ないはずなのです。ではその電力システムに関する技術的背景とは何か、というとたとえばこういう話です。
説明1:電力は溜めておけないため、電力消費量が発電量を上回ると、予測不能の大規模停電を引き起こす恐れがあります。そのため、計画停電をすることはやむを得ないのです」
こんな説明を聞いたことのある方も多いことでしょう。さて、どの程度納得が行きますか?
どういうことかはよく分からないけれど、やむを得ない、と言いたいんだということはわかった。
というような感想を持ってモヤモヤしたまま、つまりよくわからないまま「仕方がない」と諦めてしまう人が少なからずいるはずです。
「説明1」は、計画停電の必要性の説明としての事実関係は完全に正しいものです。そして、特に難しい表現で書かれているわけでもなく、中学生でもわかるような内容です。
それでも、「よくわからない」というモヤモヤ感は残るんですね。なぜそんなモヤモヤ感が残るかというと、
結論だけを説明されていて、結論を出す過程の推論を自分でしていないから
です。
「電力消費量が発電量を上回ると、予測不能の大規模停電を引き起こす」
これは、電力システムのしくみを分かっている人が考えて出した「結論」です。
結論だけを言われても、人はなかなか「なるほど、わかった!」にはなりません。
結論を導くに至る「前提知識」を持って、自分自身で「推論」をして「ひょっとして、こうなるんですか?」と仮説を立てることができれば、そしてそれが肯定されれば、「なるほど、わかった!」になりますが、「前提知識」なしで「結論」だけ示されても、なにか誤魔化されているようなモヤモヤ感が残るものなんです。
とはいえ、高度に専門的な分野の場合、いちいち「前提知識」を事細かに説明している暇はありません。だから、「結論だけを説明するのもやむを得ない」と思いがちです。
が、そこで少し待ってください。厳密な「前提知識」を説明して理解させるのは無理でも、よく似たモデルを提示して「推論」の疑似体験をさせることは可能なのです。
続き→「精密に練り込まれたたとえ話で「推論」を疑似体験してもらう法」。
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