魔法の呪文で生き残るのは難しい
「仕事」とは、生産性を追求することであると、私は考えています。
生産性 = 産出量 / 投入量
生産性を追求するとは、少ない投入資源で大きな成果を生みだすための努力です。これを個人の知的仕事になぞらえて考えれば、限られた労働時間をうまく使って、お客様や社会にできるだけ大きな価値を提供することを目指すことでもあります。
効率性と創造性の特徴の違いを考える
生産性を向上させるためには、効率性と創造性のそれぞれを高める必要があります。効率性とは、コスト削減、時間短縮、「ムリ、ムダ、ムラ」の排除など、既存の価値を高めるための改善です。一方、創造性とは、新しいことを思いつく、新たな関係を築く、新規の企画や計画を作るなど、これまでには無い新しい価値を創出する活動です。
効率性の追求には、改善すべき現状があり、何をすればいいのかを誰もが分かるように説明できます。これまでの経験や事例を踏まえて、改善の道筋を想定することもできます。一方、創造性の追求には、そんな分かりやすさがありません。何が正解であり、どのように実践すべきかの道筋が、予め示されることはありません。だからこそ、そのプロセスを楽しめる好奇心やわくわく感、情熱や信念のような、内発的動機が欠かせないのです。
効率と創造を実践する方法について
効率性を追求する方法については、多くのことが語られていますが、その代表的な方法論のひとつが、ECRSです。
ECRSとは、業務改善を行う上での順番と視点を示したもの。Eliminate(排除)、Combine(結合と分離)、Rearrange(入替えと代替)、Simplify(簡素化)の英語の頭文字を並べたもので、ECRSを適用すると、改善の効果が大きく、過剰や過小な改善も避けられ、さらに不要なトラブルも最小になることが知られています。
創造性を追求する方法についても、いろいろと語られていますが、その代表的な手法のひとつがデザイン思考です。
デザイン思考は、米シリコンバレーを中心に普及してきました。この地域の企業は、失敗を許容し、リスクを取りながらテクノロジーを駆使して試行錯誤で問題を解決することが当たり前と考える企業文化を持っています。どこかの国のように「新事業開発室」や「新規事業開発プロジェクト」、「DX推進本部」などを作らなくても、新しいことに積極的に挑戦しようとする企業文化が、従業員ひとり一人に根付いているからこそ、デザイン思考が自然と受け入れられ、成果をあげてきたとも言えるでしょう。
創造性は、そういう文化の所産です。デザイン思考は、そんな文化があればこそ、成果をあげることができます。そういう企業文化を育てることなく、唐突に手法だけをまねしてもどうにかなるものではありません。
新しいことに価値があるかどうかは、やってみなければ分かりません。絶対にうまくいくと思っても、その通りにならないことがほとんどです。だから、まずは役に立つとか儲かるとかのためではなく、時間も忘れて没頭し、試行錯誤を楽しむことができなくてはなりません。そんな試行錯誤には失敗は憑きものです。それを許容し奨励できる組織の風土があればこそ創造性が育まれ、デザイン思考のような方法が成果を生みだすのだと思います。
創造性の源泉である「デフォルト・モード・ネットワーク」
創造性は、徹底した思考の集中と解放の相互作用が必要です。ワシントン大学のM・E・レイクル教授が提唱した「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」という理論によると、脳が消費するエネルギーのうち、集中して脳を働かせているとき、例えば事務処理や読書などの「意識的活動」に使われるエネルギーは、全体の5%。そして、20%は脳細胞のメンテナンスにあてられ、残り75%は、「何もせずにぼんやりしているときの活動」のために使われているそうです。
ではこの時間に何をしているのかと言えば、「無意識のうちに脳内の情報を整理している」のだそうです。つまり、様々に集められた雑多な情報を頭の中で再配置し、繋げ直しているわけです。これによって、いままでつながりのなかった事柄が、つながり、気がつき、ハッとさせられる。それこそが、創造性の源泉です。
DMNによって、分散した知識の断片を整理してつなぎ合わせることにより創造性が発揮されます。徹底した集中で知識を詰め込み、試行錯誤し、何かを生みだそうともがくことで、知識の断片が蓄積されます。そんな疲れた頭を休めようと、ボーッとすることで、DMNは力を発揮し、思わぬつながりや発想が生みだされ、新しい何かが舞い降ります。そんな「集中と解放の行ったり来たり」が、創造性の源泉となるのです。
創造性は暗黙知の共有により発揮される
創造性を発揮するには、「暗黙知」を組織が共有し、これを活かしていくための組織的な取り組みが欠かせません。
企業活動における「暗黙知」の重要性は、経営学者である野中郁次郎氏によって提唱されました。この暗黙知を経営に活かすための方法論として「SECIモデル」が提唱され、多くの企業で活かされています。
-
共同化:暗黙知を暗黙知として伝え、相互理解を深める段階。必ずしも言語で伝える必要はなく、身体や五感を使いながら、勘や感覚などを表現して他者と共有。
-
表出化:暗黙知から形式知へと変化させる段階。暗黙知を言葉や図などを形式知へ変換。
-
結合化:形式知と形式知を結びつける段階。これにより新しい知識が形成され、これが個人単位ではなく、組織財産として活用できるようになる。
-
内面化:形式知から個人の暗黙知へとまた変化させる段階。結合化によって新たに創られた形式知を、各個人で習得するために反復練習等を行うことでまた自分のものとする。
文章や図解、数値などによって、誰が見ても理解できるような形式で表現された客観的な知識である「形式知」は、それよりも遥かに大きな「暗黙知」の一部にすぎません。そんな「暗黙知」は、他人に伝えることが難しい知識であり、相手の感情や行動、態度などの形式化しにくい情報を介して、相手のそばで感じることで知ることができます。
「知識創造理論」を提唱した野中氏は、知識創造を次のように説明しています。
「知識創造とは、個人の信念を真実へと正当化していくためのダイナミックな社会プロセスである」
また知識について、次のように述べています。
「知識は、天然資源のように誰かに発見されるものではなく、人が関係性の中で創る資源である。そのため利用する人の思いや理想、感情などで、意味や価値が変化するダイナミックな資源といえる。」
かつて、ピーター・ドラッカーは、"知識という資源が21世紀において最も重要な資源となる"と提唱しています。つまり、これからの企業経営にとって重要なことは、知識創造のプロセスを経営の基盤に据えることが重要であるということです。
「形式知」が主体となる知識取得や情報伝達の効率を重視するならオンライン、「暗黙知」でなければ伝わらない、あるいは生み出せない知識創造を重視するならリアルといった使い分けを考えなくてはなりません。この両方をうまくバランスできてこそ、知識創造をうまく機能させ、いまの時代に生き残る前提となる知識創造企業の土台ができあがります。
魔法の呪文だけでいまの時代を乗り切ることは難しい
仕事の現場に於いては、「効率性」と「創造性」は、共に重要であることは、言うまでもありません。しかし、効率性ばかりを追いかけてきた企業が、根本的な企業文化や風土の変革無しに、流行りのDXやAIといった「魔法の呪文」を唱えるだけで、時代の変化に対処できると考えているなら、それは大きな間違いです。
もはや大昔の話しですが、どんな仕事でもこなせる柔軟で標準的な従業員を集め、組織の規律を大切に、一致団結して行動することこそ、企業価値の向上にとって大切だった時代がありました。「安定性」こそが時代を支える価値観であり、高度経済成長という時代は、それでうまくいきました。
しかし、とうの昔にそんな時代は終わっています。多様で個性豊かな従業員が、自律して、それぞれに知恵を絞り、急速で予測できない社会の変化に臨機応変に対応できることが、企業価値の源泉となりました。そんな「俊敏性」こそ、時代を支える価値観となったのです。
「生活世界の数学化」と中期経営計画の弊害
そんな時代であるにもかかわらず、経営層や管理者が、かつての「安定性」の時代の栄光と成功の方程式にとらわれたままである証拠が、「中期経営計画」というカタチで生き残っています。
不確実性が常態化する今、3年後の未来を正確に予測することなど不可能です。しかし、いまだ3年後の未来を数字で予測し、それまでのプロセスもまた不確実な3年後の未来の数字で縛り付けようとしています。
1930年代、現象学を提唱したフッサールは、彼の著書「ヨーロッパ諸学の危機と超越的現象学」のなかで、世界が数式やデータとしてのみ捉えられるようになることを「生活世界の数学化」と呼び、警鐘を鳴らしました。経済活動が数字に完全に支配されると、効率化が優先され、人々が生きることや働くことの「意味」を見失ってしまうという危機です。
現代の中期経営計画は、まさにこの「生活世界の数学化」の弊害を体現しています。数字という「形式知」だけで未来を縛ることで、以下のような事態を招いています。
-
手段の目的化:本来のパーパスを見失い、計画上の数字を合わせることが目的化する。
-
意味の喪失:従業員は数字を埋めるための駒となり、働く情熱(内発的動機)が削がれる。
-
現実との乖離:現場の肌感覚(暗黙知)よりも、計画の整合性が優先され、誤った判断が正当化される。
私たちは、「正確に3年後の未来を予測し、その達成向けて邁進する」ことから、「変化に俊敏に対応する能力を獲得し、その時々の最適解を実行して、修正のサイクルを高速に回す」ことへと変わる必要があります。DXとはそれができる企業の文化や風土への変革であり、AIなどのITはこれを実現する手段であることを理解せねばなりません。
AIと人間の役割:逸脱と暗黙知
では、手段としてのAIは私たちに何をもたらし、人間は何をすべきなのでしょうか。
AIは、過去のデータを整理して、そこに規則や法則を見つけだし、意志決定のための様々な洞察を与えてくれるし、変化のパターンから次に何が起こるかを高い精度で予測してくれるでしょう。これは「効率性」の極致です。
しかし、そのパターンから逸脱し、これまでとは異なる目的地を示し、あるいは、異なる未来を描くことができなければイノベーションは起こらない。それは人間の役割です。
AIが提示する「最適解」は過去の延長線上にすぎません。そこから跳躍し、新しい価値を創造するには、野中氏の言う「暗黙知」が不可欠です。AIには扱えない文脈、感情、身体的な感覚といった暗黙知を人間同士が共有し、DMNを働かせて無意識下で結合させることで初めて、イノベーションは生まれます。
そんな人間の役割を最大限に引き出し、イノベーションを生みだす上で、暗黙知の役割は、これからも普遍であり続けるでしょう。
冒頭に述べた「生産性=効率性+創造性」において、効率性に偏重の経営のあり方を創造性にシフトすることは、ドラッカーの言う知識経営にとって不可欠です。そのためには、野中氏の言う暗黙知を活かすSECI理論は有効な手段となるはずです。
イノベーションやDXという魔法の呪文を唱え、AIやクラウドをぐつぐつと煮立てた鍋の中にイモリの尻尾のように落としても、企業変革はすすみません。もっと本質的に、根本的にいまの時代の価値観に向きあって、企業の文化や風土、さらにはパーパスにも踏み込んで、自分たちを作り変えていくことが、求められているように思います。
【募集開始】ITソリューション塾・第51期
2026年2月10日開講
時代の「デフォルト」が変わる今、ITソリューション塾・第51期の募集を開始します。
ITソリューション塾は2009年の開講以来、18年目を迎え、これまでに4000名を超える卒業生を送り出してきました。
開講当時、まだ特別だった「クラウド」は、いまやコンピューティングの「デフォルト」です。そして18年目のいま、社会は急速に「AI前提」へと移行しつつあります。
これは単にAIの機能が向上したということではありません。ビジネスや社会のあらゆる現場で実装が進み、AIがあらゆる仕組みの「デフォルト」になろうとしているのです。
第51期ではこの現実を受け止め、AI技術そのものの解説に加え、クラウド、IoT、システム開発、セキュリティなど、あらゆるテーマを「AI前提」の視点で再構成して講義を行います。
【ユーザー企業の皆さんへ】
不確実性が常態化する現代、変化へ俊敏に対処するには「内製化」への舵切りが不可欠となりました。IT人材不足の中でも、この俊敏性(アジリティ)の獲得は至上命題です。AIの急速な進化、クラウド適用範囲の拡大、そしてそれらを支えるモダンITへの移行こそが、そのための強力な土台となります。
【ITベンダー/SI事業者の皆さんへ】
ユーザー企業の内製化シフト、AI駆動開発やAIOpsの普及に伴い、「工数提供ビジネス」の未来は描けなくなりました。いま求められているのは、労働力の提供ではなく、モダンITやAIを前提とした「技術力」の提供です。
戦略や施策を練る際、ITトレンドの風向きを見誤っては手の打ちようがありません。
ITソリューション塾では、最新トレンドを体系的・俯瞰的に学ぶ機会を提供します。さらに、アジャイル開発やDevOps、セキュリティの最前線で活躍する第一人者を講師に招き、実践知としてのノウハウも共有いただきます。
あなたは、次の質問に答えられますか?
- デジタル化とDXの違いを明確に説明できますか? また、DXの実践とは具体的に何を指しますか?
- 生成AI、AIエージェント、エージェンティックAI、AGIといった「AIの系譜」を説明できますか?
- プログラミングをAIに任せる時代、ITエンジニアはどのような役割を担い、どんなスキルが必要になるのでしょうか?
もし答えに窮するとしたら、ぜひITソリューション塾にご参加ください。
ここには、新たなビジネスとキャリアの未来を見つけるヒントがあるはずです。
対象となる方
- SI事業者/ITベンダー企業にお勤めの皆さん
- ユーザー企業でIT活用やデジタル戦略に関わる皆さん
- デジタルを武器に事業改革や新規開発に取り組む皆さん
- 異業種からSI事業者/ITベンダー企業へ転職された皆さん
- デジタル人材/DX人材の育成に携わる皆さん
実施要領
- 期間:2026年2月10日(火) ~ 4月22日(水) 全10回+特別補講
- 時間:毎週 水曜日 18:30~20:30(※初回2/10など一部曜日変更あり)
- 方法:オンライン(Zoom)
- 費用:90,000円(税込み 99,000円)
受付はこちらから: https://www.netcommerce.co.jp/juku
※「意向はあるが最終決定には時間かがかかる」という方は、まずは参加ご希望の旨と人数をメールにてお知らせください。参加枠を確保いたします。
講義内容(予定)
- デジタルがもたらす社会の変化とDXの本質
- ITの前提となるクラウド・ネイティブ
- ビジネス基盤となったIoT
- 既存の常識を書き換え、前提を再定義するAI
- コンピューティングの常識を転換する量子コンピュータ
- 変化に俊敏に対処するための開発と運用
- 【特別講師】クラウド/DevOpsの実践
- 【特別講師】アジャイルの実践とアジャイルワーク
- 【特別講師】経営のためのセキュリティの基礎と本質
- 総括・これからのITビジネス戦略
- 【特別講師】特別補講 (現在人選中)
「システムインテグレーション革命」
AI前提の世の中になろうとしている今、SIビジネスもまたAI前提に舵を切らなくてはなりません。しかし、どこに向かって、どのように舵を切ればいいのでしょうか。
本書は、「システムインテグレーション崩壊」、「システムインテグレーション再生の戦略」に続く第三弾としてとして。AIの大波を乗り越えるシナリオを描いています。是非、手に取ってご覧下さい。
8MATOのご紹介は、こちらをご覧下さい。
