「イノベーションのジレンマ」の著者であるクレイトン・クリステンセンは、2008年の著書「教育×破壊的イノベーション」において、ITの発展が教育に変革をもたらすことを予見しました。その中でも特に大きな変革として、「教育の個別化」を上げています。彼は、この点について、次のように述べています。
- 教育手法の改善は、生徒や保護者のニーズの変化よりも速いペースで進行する。
- 教育手法の改善は、「すべての生徒に対して一律の学び方をする(一律教育)」既存手法の改善と、「一人ひとりの生徒が異なる学び方をする(個別教育)」新しい方法が登場する。後者が「破壊的イノベーション」となる。
- 個別教育を実現するためにITが活用されるが、最初のうちは、既存の教育ニーズを十分満たすことができない。そのため、既存の教育関係者の多くは、一律教育の手法を改善することで教育の質的向上を図ることを優先し、その一部としてITを限定的に使うことに留まる。
- ITを活用することで、ひとり一人の個性や嗜好、理解力などを考慮した個別教育が実現する。それらは、既存の教育サービスを享受できていない、あるいは、そのやり方では学習成果をあげられない人たち(無消費者)での利用からはじめることで、徐々に存在感を高め、やがては既存の一律教育を置き換える。
- 個別教育を拡大させるためには、既存の教育システムから分離して導入を進めるべきである。
大学の講義をインターネットで無料公開する「MOOC」や人工知能による個別適応学習(Adaptive Learning)サービスなど、ITを使った個別教育が、いまや実現し、まさにクリステンセンの予言通りです。
企業研修もいずれはこのやり方が普通となってゆくでしょうし、むしろ年齢や経験の差は学生以上に大きいわけですから、個別教育へのシフトは必然の流れです。ITにより既存の常識が崩壊し、新しい常識に適応してゆかなければなりません。そうなれば、仕事も変わってゆきます。その変化に対応するため、教育は大きな役割を果たすことになります。
企業研修界隈では、「リスキリング」という言葉が賑かです。職業能力の再開発、再教育のことを意味します。近年では、デジタル化の進展に伴う新たに必要となる業務・職種に順応できるように、従業員がスキルや知識を再習得するという意味で使われることが増えています。
リスキリングの最大の課題は、既存のスキルや知識を棄却することへの抵抗です。これまでに積み上げた常識を捨て去ることは、誰にとっても容易なことではありません。しかし、世間の常識が、大きく変わりつつある中で、既存の知識や常識、スキルを一旦捨てること、すなわち「アンラーニング」が、絶対に必要です。
既存の上に新しいことを積み上げようとすると、新しいことを既存の常識の範疇で解釈しようとしてしまいます。そのため、既存の改善程度、あるいは修正程度に留まり、根本的な変革を妨げてしまいます。それにもかかわらず、既存のやり方にこだわる人たちが大勢を支配している現実を変えることは容易なことではありません。
「社会心理学の父」と呼ばれているクルト・レヴィン(Kurt Lewin 1890 -1947年)変革の3段階を示し、その中で、「変革は『いま』を終わらせることから始めよ」と述べています。DXが叫ばれるいま、既存の常識を新しい常識に上書きすること必要です。ですから、リスキリングは、アンラーニングとセットで、取り組むべきです。
リスキリングもうひとつの課題は、既存のやり方にこだわり、「アンラーニング」を怠っているのは、研修講師かもしれません。
講師は本来「最先端」でなくてはならないはずです。しかし、「教育の本質は変わらない」と抵抗を示します。確かに本質は変わらないかもしれませんが、手段は大きく変わります。
ならば、彼らはどのように変わり、いかなる役割を果たすべきでしょうか。私は、いまのApple Musicとライブ・コンサートの関係に近いかもしれないと考えています。普段はインターネット経由のオンライン研修で知識を習得し、やる気や大切さなどの心の高ぶりを求めてライブ研修を受講するといった関係です。また、一方的な座学ではなく、受講者や講師とのコミュニケーションやディスカッションを通じて、考察を深め知識の広がりや気付きを求めることになるでしょう。知識を入れる研修はオンライン、それを深め拡げるのはライブ研修といった関係になるでしょう。
そのためには、講師はライブコンサートの演出家でありエンターテナー、つまり落語家や漫才師のような芸人としての能力が求められます。その能力が、講師の魅力になるはずです。
知っていることを教えるだけの講師は存在価値を失います。また、受講者の反応に臨機応変に対応できないことも講師の評価を下げるでしょう。
「今日の受講生は居眠りばかりしている。態度がなっていない。やる気が無いやつなんて講義を受けても意味が無い!」
こんなことをいう講師は生き残ることはできません。そうさせているのが自分であることに気付いていないわけですから、なんとも始末に負えません。いまはまだ、一律教育がほとんどですから、そんな講師であっても仕事はあります。しかし、ITによる個別適応学習が普及すれば、そのような講師は仕事がなくなってしまうでしょう。そうなったとき、仕事を続けられるかどうかは、講師の芸人力があるかないかにかかってきます。YouTubeの学習コンテンツの充実と人気講師のブレイクは、まさにこの現実を顕著に示しています。
ストーリーを描き、演出を考え、現場に臨機応変に対応し相手に感動を与える。そんな適応力と創造性を発揮することが、これまでにも増して求められるようになります。講師もまたそのための役割を果たしてゆくことが大切になるでしょう。
学ぶ側だけではなく、教える側もまた「アンラーニング」とセットで「リスキリング」する必要があるように思います。