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震災が教えてくれた、映像(動画)とソーシャルメディアが果たすべき役割

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今回の震災直後の数週間、かつてないほどの時間テレビの前にくぎ付けになった。普段は夜のニュース以外テレビを見る機会などあまりないのだが、今回の震災直後だけは、被災地の惨状を伝える次から次へと送られてくる悲惨な映像を、日本人の一人として目に焼き付けておかなければならないという使命感のようなものが働いたからなのか、深夜を過ぎてもテレビを消すようなことはなかった。テレビだけに限った話ではない。YouTubeを始めとしたインターネットの動画共有サイトにアクセスする時間も、いつもよりも多くなっていた。インターネットには、テレビでは放映されることがない、被災地に住む人々やボランティア活動をしている人たちが撮影したと思われる、目を覆いたくなるほど変わり果てた東北地方のリアルな映像が数多く投稿されており、それもまたテレビとはまた違った意味で心を揺り動かした。

震災から1ヶ月ほどたった頃からだろうか。テレビやインターネットの動画共有サイトが配信する被災地の現状を伝える映像の内容が少しづつ変わっていった。一時は建物が津波に流されいく映像や、瓦礫の山となった被災地の様子を伝える映像一辺倒だったのだが、その頃からだろうか、復興に向けて動き出した被災地の活動を伝える前向きな内容の映像が見られるようになってきた。インターネットの動画投稿サイトもそれは同様だった。被災地の惨状を伝える映像から目を背けるつもりはこれっぽっちもなかったが、復興に向けて力強く立ち上がろうとする被災地で暮らす人々の生活ぶりを伝える映像を見て、少しだけ救われる気持ちがた。

今回の震災後に配信された膨大な量の映像は、映像が持つ役割と重要性を再認識するきっかけを与えてくれた。普段何気なく目にしているテレビやインターネットの動画共有サイトから配信される映像が、一つの現象を理解する上でどれだけ有効かということを、改めて理解することができた。文字や写真も、確かに現象を理解する上で必要な情報だ。しかし、今回の震災のような、その現象が持っている凄まじいまでの本質を瞬間的に理解するためには、どう考えてみても映像ほど有効な情報はない。映像が持っている情報量とリアリティが、文字や写真とは比べもにならないくらい多いからだ。

今回、震災が起こってからそんなに時間がたたないうちに、世界各国から支援の手や激励のメッセージが届いたのも、世界中の人々がテレビやインターネットの動画共有サイトで被災地の映像を目にすることができたからではないだろうか。これが、たとえば文字や写真だけで情報が伝えられていたとしたら、世界中の人々が事の重大さを理解するまでにもう少し時間がかってしまい、支援のための行動も遅くなってしまった可能性がある。映像を見たことで、世界中の人々は「これは大変なことが起きている!」と瞬間的に理解することができたのではないだろうか。

震災直後のテレビのニュースで、被災地で取材を終えたばかりの記者が、被災地の現状が想像以上に凄まじいことから、テレビの映像は実際に起きていることの半分も伝え切れていないので意味がないといった趣旨の発言をしていた。確かにそうかもしれない。実際の目の前で繰り広げられている事実を、映像が100%完全に伝えきることは無理だろう。また、実際に目の前で繰り広げられている現実を目の当たりにして、無力感を覚えてしまったとしても否定はしない。しかし、それでも映像以外に事実を瞬間的に理解させることができる情報がないことも事実だ。映像には、現地で起きている現実をできるだけ直感的に伝えるという使命がある。

今回の震災における情報収集の方法として、もう一つ有効だったのがソーシャルメディアだ。震災におけるソーシャルメディアの活躍については、いろんなブログでも取り上げられているので、ここでは多くは語らない。映像が、震災で起きている悲惨な現象を瞬間的に深く理解することに有効だったのに対し、ソーシャルメディアは震災で起きている現象を時系列で知ることに有効だった。twitterとfacebookのおかげで、私たちは被災地で今何が起きているのかを瞬間的に時系列で知ることができた。

デマなどが横行したことから、ソーシャルメディアで交わされる情報の有効性について疑問の目を向ける意見もあるようだが、逆にそうした多様な情報がやり取りされるという事実を理解した上で利用することが、ソーシャルメディアを利用する上で重要ではないかと思っている。ソーシャルメディアを利用して、起きている事実を瞬間的に時系列で把握し、次に映像を見てその現象を瞬間的に深く理解する。震災直後の何週間、多くの人がこの一連の作業を繰り返して過ごしたのではないだろうか。

ソーシャルメディアと映像は、今後もあらゆるシーンで事実・現象を瞬間的に把握・理解するために活用されるはずだ。ただ、ソーシャルメディアもインターネットの動画配信技術もかなりのスピードで進化していることから、積極的に利用する者とそうでない者との間で、起きている現象に対する対応方法のスピードに差が出てしまう可能性がある。機関や企業などが、利用を推進するような働きかけをすることが今後は必要になるかもしれない。

垂れ流しされる情報の多さに疲弊しながらも、結局はそれらの情報を受け入れて処理して行くしかない現実を一体どう受け止めたらよいのか、今回の震災はそれを考えるきっかけを与えてくれた。

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