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躾と愛、あなた自身を問い直す

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これは「日本躾の会」の月刊「ふれあい」2016年号への寄稿の再掲です。

躾と愛、あなた自身を問い直す

 いま躾への取り組み方が問われている。では、躾をするには何が大切なのか?

 知識と経験に勝る年長者が、それを若い・幼い相手に伝え、律することが躾という行為だとしか理解していなければ、それは表層的な躾に終わるだろう。知識を教えるだけなら、そのうち人工知能に置き換えた方がいいかもしれない。

 躾は、愛を伴うかけがえのない行為だ。親が子を、先生が生徒を、あるいは近所の年寄りが子供を、愛をもってしかり正す。

 その際、起点となるのは、躾を行う自分自身への愛である。英語で言えば、I love me → I love you → You love me というサイクルが回ってこそ、躾はうまくいく。

 自らへの愛が損なわれている人は、他者をしかるにも愛が不足しがちだ。愛なき指導は、言われた方も、相手に感謝の念を返し難いものだ。 

 また人は、躾という行為の中で、自らを律してもいる。人間には古い脳、つまり主語を判別できない部分があり、他人に言ったことも一部は自分に言ったように受け取るということが科学的に分かっている。

 いずれにせよ、躾は人とのつながりに立脚するものであり、また自分のためのものでもある。

 しかし、自らへの愛から始まるといってもこれは自分が思うようにすればよい、ということではない。

 よかれと思ってでも、指導しすぎはいけない。子をコントロールし、実質的に支配しては、子供はいつまでも自立できなくなる。自己肯定感(self-esteem)も持てなくなる。自己肯定感が低いと、依存や犠牲といった行動が生じる。つまり、親や権威に依存し過ぎるなど、よくないサイクルにはまりやすい。

 付言すると、他と違ってもよいと、あるままの子供を受け入れることだ。例えば性同一性障害の場合もそうだが、様々な面で、子供を認めることだ。親が思い込んだイメージを押し付けては、誰も幸せにならない。

 放任したり、意図的にマザコンになるように仕向けたり、独りよがりな子との関わり方が、しばしば見られるのも現実だ。果たして自分が子ならそうされて幸せか、自らに問い直すことも大切にしたい。愛の連鎖を生む躾を心がけたいものだ。

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