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なぜ感情は論理に勝つのか――そして私たちはどう生きるべきか?

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現代社会を見渡すと、まるで「感情」が「論理」に勝利し続けている舞台のように感じられます。

SNSでの炎上やフェイクニュース、政治的選択...
どれも、論理的な議論や冷静な検証を置き去りにして、感情的な反応が世論を動かしているようにさえみえます。

果たして、なぜ「感情」は「論理」に勝つことが出来るのでしょうか?
その理由をまずは考えてみたいと思います。

1.即時性の強さ
「感情」は瞬時に沸き起こり、体や心に強いインパクトを与えます。
一方、論理はじっくり考え、検証し、時には結論を保留しなければならず、時間と労力が必要です。
この意味からも「論理」は不利です。

2.共感の力
「感情」は<共感>を生み、集団を強く結びつけます。
「論理」は冷静ですが、共感を得にくい。
したがって、怒りや悲しみなどの感情は、世の中を動かしやすいのです。

3.情報過多の弊害
現代社会は情報が溢れ、選択肢が多い時代です。
人々は様々な生き方が出来る反面、考えることに疲れ、「感情」に流されやすくなっているのかもしれません。


以上、現代社会において「感情」が「論理」に優先する3つの原因を挙げてみましたが、人間と言うものはそもそも論理的な生き物ではありません。
古代から人類は、理性的な議論よりも物語や儀礼、感情の共有を通じて社会をまとめてきました。
歴史に登場する多くの指導者や運動は、感情に訴え、民衆の熱狂や恐怖を動力にしてきました。

また、ほとんどの人々が信じている宗教自体、いたって論理的ではないのです。
宗教の根底にある神話や教義は、科学的な検証や合理的説明ではなく、象徴的で寓話的な物語であり、人々はその物語に心を委ね、安心や帰属を得ています。

つまり、人間とは「論理」より「感情」に根ざした存在であり、そこに人間の深い精神性があるといえるのです。
そういう意味では、感情の波に翻弄される人間に比べ、日々の生存活動に徹している動物たちのほうが、むしろ合理的に生きているようにも見えます。

とはいうものの、「論理」が「感情」に負ける世界には危うさがあります。
論理が感情に負けることは、時に社会の混乱や誤解、偏見を助長します。
「正しいこと」より「感情的に正しいこと」が優先されると、事実や倫理が軽視されかねません。
言い換えれば、「科学」が「感情」に負けることを意味します。

そこで重要なのは、抽象的な表現になりますが、
「論理」が「感情」の声に耳を傾け、「感情」もまた「論理」の力を尊重することでしょう。
これを忘れたとき、人は分断し、争い、苦しみ続けるのかもしれません。

「感情」に「論理」が勝てない世界は、決して望ましいわけではありません。
しかし、それが現実ならば、私たちは、「感情」を理解し、「論理」を磨き、両者の間に立って折り合いをつける術を探すしかないのです。
「感情」が勝つことに嘆くのではなく、その渦中で揺れながらも、どうにかバランスを取り前に進むしかない。

それが、ホモ・サピエンスという種の宿命なのかもしれません。

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