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大阪の隠れた名所「天王寺七坂」のご紹介+天王寺七坂で撮影した着物ポートレイト

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大阪市に居住または勤務している以外の人からすれば、大阪市の中心部は平たんな街というイメージがあるかもしれないが、実は東部には大きなナマコ型の上町台地が横たわっており、かなり勾配のきつい坂道を多数形作っている。その中でも天王寺駅から北側エリアの旧寺町にある坂道群は「天王寺七坂」と呼ばれ、都会の喧騒を忘れられる情緒ある風情を今も残している。
もし、大阪に旅をする機会があれば、あるいは出張中に少し時間が空けば、ぜひ一度足を運んでもらいたいと思う。坂道なのでそれなりに大変ではあるが、古き大阪に出会える貴重な時間を過ごして貰えるはずである。では、順々に紹介してゆくことにしよう。
(ただし、これらの坂は周辺住民の生活道路でもあるので静かに散策頂きたいと思う。)


〇真言坂


上方の落語家の祭典「彦八まつり」や「陸渡御」のパレードで有名な「生国魂(いくたま)神社」の北門につながる坂である。かつては坂の両側に真言宗の寺院が並んでいたことから「真言坂」と呼ばれるようになった。現在は両サイドがマンションとなってしまったが、この坂を登って生国魂(いくたま)神社に向かうと徐々に緑に包まれた赤い門が見えて来る。




〇源聖寺坂

この坂の登り口あたりに「源聖寺」があり、それが名前の由来となっている。この坂は、途中より階段となっているが、美しい石畳が敷き詰められており情緒ある散策を楽しむことが出来る。




〇口縄(くちなわ)坂

口縄とは蛇の事である。この坂を下から眺めると、道の起伏が蛇に似ているところからこの名が付けられたという。ほぼ両側を寺院に囲まれ石畳が敷き詰められたこの坂は大変美しく、天王寺七坂散策のハイライトとも言えるだろう。



〇愛染坂

大阪に夏の訪れを告げる「愛染祭」で有名な「愛染堂勝鬘院」がこの坂の下り口にある。この坂の名前はそこから名付けられた。ちなみに愛染祭は、かつて大阪ではこの日(6月30日)から浴衣を着てもよいとされていたほどの由緒ある祭りである。しかし、昨今は諸事情によりその規模を縮小してしまった。寂しい限りである。




〇清水坂

この坂の南側には、「清水寺」がありそこからこの名前が付けられた。この坂は、ほぼ両側を石垣風の壁で囲まれており大変美しい。ちなみに、この清水寺にも規模は小さいが京都の清水寺のように舞台がある。もし時間があれば、そちらも見学することをお勧めしておこう。ただし、この舞台は、墓地の奥というロケーションなので静かに訪れて貰いたい。




〇天神坂

坂の登り口あたりから「安居神社(安居天満宮)」の北坂石段へ通じているので、このように名付けられている。比較的真っすぐで見通しが良く、石畳の直線が美しい坂である。
さて、
安居神社であるが、戦国史上において大変有名な神社で、大坂夏の陣の際に真田幸村がこの境内で戦死したと伝えられている。本殿の横には「真田幸村像」が鎮座されている。



〇逢坂


天王寺七坂の中では、最も道幅が広いごくごく普通の道である。しかしながら、上記の安居天神の正門はこちら側にあるし、その向かいには大阪の陣において徳川家康の本陣が置かれた「一心寺」や、真田幸村が最終決戦の夏の陣において本陣を置いた「茶臼山」を望むことが出来る。
ところで、この逢坂を登りきると、聖徳太子が建立した日本最初の本格的寺院と言われている「四天王寺」がある。そして、この逢坂の登り口には閻魔大王を祭った「合邦辻閻魔堂(がっぽうがつじえんまどう)」がある。実は、この構図は京都の「清水寺」とそのふもとにある閻魔大王を祭った「六道珍皇寺」の関係性と同じである。
かつて坂は「境(さかい)」「境界」と考えられており、坂の上の「四天王寺」や京都の「清水寺」は極楽浄土(天国)と捉え、そのふもとは俗社会であり、坂を登って極楽浄土に行くためには、閻魔大王の審判を受ける必要があるという思想を反映したものだと考えられる。







さて、私はこの天王寺七坂界隈をロケ地として、和服姿のポートレイトを撮影する活動をささやかではあるが行っている。私の地元でもあるこの天王寺七坂に、着物姿で訪れる人々が増えることを願ったものである。




こちらにアルバムがあるので、よろしければご覧頂きたい。

<着物スタイルin天王寺七坂>
https://levelbook123.wixsite.com/photo/7slopes


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