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「左利きの矯正」をするとこんな後遺症が残る

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前回のブログに引き続き、左利きの話である。今回は、今でもよく行われているであろう「左利きの矯正」を幼少の頃に受けて育った大人はどのようになるのか、私の経験を踏まえてお話しすることににしよう。
ちなみに私は、生まれてからずっと左利きであったが、幼稚園に入る頃になると「左手で絵をかいてはダメ」「左手で文字を書いてはダメ」「左手で箸を持ってはダメ」と厳しく指導されるようになった。おそらく親と幼稚園の先生が結託していたのであろう、家でも幼稚園でも左手を使っているのが発覚すると厳しく叱責された。
それまでは左手を使ってなにをしても構わなかったのに、急に左手を使ってはいけないと言われ続け、戸惑いと共にまったく訳が判らなかった。ただ悔しくて仕方がなかったように記憶しているが、最終的には「箸と鉛筆を持つのが右/茶碗を持つのが左」と繰り返し刷り込まれ、混乱のうちに左利きを矯正されていった。その結果、今では箸とペンとハサミとマウスは右で使うようになったが、その他は左利きのままで残っている。

さて、このように左利きを矯正された私だが、今でもさまざまな"後遺症"が残っている。もちろん、これは私のケースなので矯正された全員が同じではないと思うが十二分に参考になる話であると思う。もし、読者が左利きの子供を右利きに矯正しようかなと考えているのであれば参考にしてもらいたい。

〇「右」と「左」をよく言い間違う
左利きを右利きに矯正された結果、右側を「右」と呼ぶのか「左」と呼ぶのか、左側を「右」と呼ぶのか「左」と呼ぶのかよく考えないとすぐには出てこなくなってしまった。急いで言おうとすると、「右」と「左」を頻繁に言い間違えてしまうのだ。
おそらく右利きの人には何を言っているのか判らないと思うので、具体例を示すことにする。例えば、タクシーに乗っていてドライバーに交差点を右側に曲がってくれるよう伝える際に、よく考えて言わないと「に曲がってください」と口走ってしまうことが少なくないのである。あるいは、左側に曲がってくれるよう伝えたいにも関わらず「に曲がってください」と思わず言ってしまう事態が頻繁に起こるのだ。
こんな調子だと色々な人に迷惑を掛けるので、自分は「右」と「左」をよく言い間違えると認識してからは「箸と鉛筆を持つのが右/茶碗を持つのが左」といちいち再確認してから「右」「左」を言うようにしている。ネットで見ても同じような事例が出て来るので比較的よく起こる"症状"なのだろうが、矯正を受けた結果、おそらく未だ脳の中で「右」と「左」の整理が付いていないのだろう思われる。

〇思い通りに動かない利き腕であるはずの左手
先にも書いたように、私は現在、箸、ペン、ハサミ、マウスは右を使い、その他は左手を使っている。すなわち、細かく指を使う作業は右手で行い、少しでも力が必要な作業は左手で行っている。右も左も使えて便利じゃないかと思うかもしれないが、事態はそんなに甘くない。実は、左手が思うように動かないのである。しかし、それもそのはずである。最も大切な幼少の頃に字を書く・絵を描く・箸で食べ物を掴むといった細かな作業をしてこなかったからである。これらの作業は、日常生活で必要な作業であると同時に、手の動きの鍛錬ともなっているのだ。これらをしてこなかったのだから、利き腕であるはずの左手が思うように動かないのも当然である。例えば、いま私が両手を突き出して、グー・パー・グー・パー・・・と出来るだけ早く動かしてみると、利き腕でもないのに明らかに右手の方が機敏に動くのだ。
だが、それでも左手は利き腕には変わりはない。そうなると、なぜ利き腕であるはずの左手は細かな作業が出来ないのか、なぜ思うように動いてくれないのかと何とも言えない空虚感と焦燥感に包まれることもある。これははっきり言ってストレスとなるのである。

〇中途半端な右手の器用さ
幼少の頃、利き腕の左手に替わって、字を書く・絵を描く・箸で食べ物を掴むといった細かな作業の訓練を行ってきた右手ではあるが、所詮は元々利き腕ではない。その成長にはおのずと限界があったのだろうと私は考えている。したがって、私の右手はそれほど器用ではない。極端に言えば、字を書く・絵を描く・箸を使う・ボタンを押す程度の本当に力が要らない事しか得意ではないのだ。

〇結局左手も右手も中途半端
上記2例を挙げたように、利き腕である左手は細かな作業が出来ず、細かな作業を訓練してきた右手は力が必要な作業は出来ない。つまり私は、左手も右手も中途半端なまま大人になってしまったのである。色々書いてもくどくなるので、最後に一例だけ挙げておこう。例えば、小中の授業であった彫刻刀で版画を掘る作業である。私は、力が必要なので彫刻刀を右手で使うことは出来ない。したがって、左手で彫刻刀を使うのであるが、今度は左手では繊細な作業は出来ない。ではどんな版画が出来上がるのか、もういちいち説明する必要もないであろう。


以上が私が体験した"後遺症"である。
このように左利きの子供の矯正は、右利きの親が考えている以上に本人にとっては一生を通じて影響が残るかもしれない過酷な出来事なのである。とはいうものの、この国では明らかに右利きの方が暮らしやすいので矯正も100%否定はしないが、左利きの子供を持つ親にはよくよく考えて判断することを望みたいと思う。

ちなみに、今私が感じていることは、もし利き腕である左手が字を書き、絵を描き、箸で食べ物を掴んでスクスクと育ったならば、いったいどのようなものを作り出したのか是非見ててみたかったなということである(まあ、それほど大したものは作れなかったであろうが笑)。

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