優れた政治家は国民が作るものである
安倍首相の突然の辞任表明を受け、いま永田町の自民党の面々は活発に動き回っていることだろう。政治は闘争、それは大いにやってもらっていいのだが、こんな時にいつも話題なるのは、政治家の資質である。皮肉的なメディアを中心に、いい政治家がいない、誰が首相をやっても一緒、みんな地味、リーダーシップが感じられないなど大抵は酷評が並ぶものである。
しかしながら、政治家(議員)は国民の鏡である。なぜなら、政治家は選挙というフィルターを通して議員になっているからだ。たとえその政治家が、地道に政治活動を積み上げた叩き上げの人物であっても、2代・3代と続く親から地盤を引き継いだ人物であっても、口先だけの嘘八百を並べる人物であっても、すべて選挙により国民に選ばれたという事実は揺るぎようがない。
つまり、痛快に政治家を批判して留飲を下げるのもいいが、よくよく考えればそれらはブーメンランのごとくわが身に帰ってくるということも十分理解しておかなければならないだろう。優れた政治家もそうでもない政治家も、すべては国民が作っているということなのだ。
そこで我々が考えなくてはないのは、国民が政治家を育てる姿勢である。どのように育てるかというと、そのひとつの方法が、実際に政治家と会って話をすることである。おそらく読者の地元にもたくさんの政治家がいるだろうから、少しは興味が持てる政治家の報告会や集会などに参加してみることである。
とかく政治家の集会などに参加するとなると、後々しつこく勧誘されそうだ、お金の寄付を求められるのではないか、カルト的な支持者の集団に加わることになるのではないか、などとしり込みしてしまう人も少なくないだろうが、別にそのような報告会や集会に行ったところで、その政治家の支持者になる必要もないし、政治資金パーティでもない限りお金を求められることもない。(大抵の場合、入場時に住所と名前の記載が必要なので、あとでDMが届くくらいである)
まずは彼らの話を聞き、なにをどのように考えているのか知ることである。そして出来れば、1分足らずであっても彼らと実際に話をすることだ。その時の彼らの話に対する感想でもいいし、いま自分が課題と考えている社会の問題についてでも構わない。その受け答えで、その政治家の技量や器が計れるものなのだ。
それに対して、政治家だって実際の有権者がいまどのように思い考え感じているのか知りたいものなのである。その中から、自らの政策を練り上げてゆく要素にするものなのだ。なぜなら、有権者が票を持っているからである。その票の積み重ねが、政治家を議員たる地位に押し上げるからである。
こういった交流の中から、この政治家は信じられるという人物が現れたなら、その政治家の本格的な支持者となって活動してもいいだろう。明確な支持者となれば、政治家とさらに突っ込んだ話が出来るし、自分の思いをぶつけることだって出来るようになるからだ。その中で、政治家の成長を促すことが出来るのである。
ともかく未経験の読者には、まずは興味を持てそうな地元の政治家の報告会や集会などに参加してみることをお勧めしておこう。意外に政治もおもしろいと気づいて貰えるかもしれない。