人工知能<AI>幻夢
2010年代に入って起こった第三次ともいうべき人工知能<AI>ブーム。ビッグデータの活用とディープラーニング手法をキーワードに、いまだ世間を大いに騒がせている。こうなるとなんでもかんでもAIという冠がかぶせられ、オートマティックにやってくれることはすべてAIのなせる業みたいな風潮となっている。
かつて第二次ブームでは、「これからはファジーだ!」と言っている間にブームはファジーに終わってしまったが、今回の第三次ブームはなかなかパワフルであり、本物かもしれないと考えていいだろう。
さて、道具の進歩は人類発展の象徴的な出来事であり、道具の進歩がなければ我々はイルカやクジラ程度の社会しか築けなかったであろう。そういう意味では、道具の進歩は大変喜ばしい事である。しかしながら、過去を振り返ると道具の進歩を否定したい人々の動きが少なからず現れる。それまでの手法で他者より秀でた技術を持っていた者が、新しい道具の導入によりその地位が一気に失われてしまうからだ。
いまでこそ笑い話になってしまうが、身近な例でいえばほんの数十年前まで企業内におけるパソコンの導入を嫌がる人々が実際にいたのである。手書きの記帳がすべてだと考える人にとって、おそらくパソコンなどという道具は自分の立場を脅かす許されざるべき存在だったのだろう。
おもしろいことに、現在も同じ風潮が起こっている。それは、AIがさらに発展してゆけば人間の仕事が奪われ多くの人は路頭に迷うなどと一部で信じられていることだ。はっきり言って、このような事態は決して起こらないだろう。
かつて、パソコン導入を拒否していた人たちの仕事がなくなったのかといえば決してそうではなかった。パソコン導入後はパソコンを利用したさらなる高度な業務が待っていたのだ。もちろん、どうしてもパソコンが使えない人は配置転換や転職などを余儀なくされたかもしれないが、ほとんどの人はなんとかパソコンを使いこなしていったのである。
AIなる道具も同じである。我々人間には、今後はAIを利用した高度な仕事が待っているのだ。AIへのアクセスは、音声認識等々も使えるからかつてのパソコン導入より逆に易しいかもしれない。
「〇〇とハサミは使いよう」ということわざがあるが、まさしく人工知能<AI>はそれを利用する人間次第なのである。