Dr.コトーの島
数十年前、私はその島に友人と共に降り立った。
まもなく停滞型の低気圧が来るので、すぐには帰れないだろうと予想はついたが、それでも島に渡ることをあきらめなかった。今から思えば若さゆえの行動だったのかもしれない。
だが、無理をしてこの島に渡って本当に良かったと今でも思う。人と人のつながりが本当に深い島だった。初日はなんとか薄晴れで島内の集落を少しだけ回ったが、一番驚いたのは子供たちが下校の途中に旅行者である我々にも丁寧に挨拶をしてくれることであった。こちらも大阪弁で話し掛けると、当時はまだ大阪弁が珍しかったのだろう、「うわあ、さんまみたい」と屈託なく笑っていた。
そして、二日目。予想通り低気圧がその島の上空にやって来て腰を据えてしまった。我々はここで3日間足止めを食らうことになる。しかし、我々がまだ学生だということもあったのだろうか、この間、民宿の主人は本当によくしてくれた。とてもじゃないが既定の料金では食べられないような料理や泡盛をふるまってくれたし、荒れた海に出かけてハリセンボンを取って来たら、すぐ鍋にして食べさせてくれた(主人はフグ調理の免許を持っていた。念のため)。そのうえ、最終日の前日の夜には、主人のおごりで地元のスナックまで出かけ、カラオケ三昧を楽しんだ。
さらに離島時、空港まで送ってくれた主人はそのまま帰らず、空港ビルの屋上に登り、タラップを駆け上がって飛行機に乗り込もうとする我々に大きく手を振って見送ってくれた。それが、宿泊客に対するサービスとか商売心とかそういうもんじゃないことはすぐに判った。
だが、若くなんだか醒めていた当時の私は、それに応えることが出来なかった。照れ臭かったのかもしれない。主人を見て見ぬふりをして、ふっと飛行機に乗り込んでしまった。
今から思えば、大変失礼なことをしてしまったと思う。悔いは残しても仕方がないが、それでも悔いが残っている思い出のひとつである。
さて、この島の名は、日本最西端である「与那国島」。2000年代初めフジテレビのドラマ「Dr.コトー診療所」のロケ地として使われ、それなりに観光地化されたと聞く。そして近年には、中国対策の一環として自衛隊の駐屯地が置かれた。私が訪れて以降、島にとっては大きな出来事が続いている。果たして、いま島はどうなっているのだろう。私が訪れた当時の風情は残っているのだろうか。。。そんな思いを抱きながら「Dr.コトー診療所2004 特別編」を見ている。
☆Dr.コトー診療所2004特別編