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我が国は現在、閉塞感が漂っているとよく言われていますが、実は、よく観察すると、新しいビジネスチャンスがあふれかえっています。それを見つけて、成功させるコツとヒントをご紹介します。

AKB48選抜総選挙と55歳のオッサン達

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 別に、前田敦子が1位に返り咲こうが大島優子が連覇しようが私の暮らしにはまったく関係ないが、AKB48でなにかを語るとするなら、彼女らをプロデュースしているのが55歳のオッサン(失礼っ)ということである。

 そのオッサンの名は、秋元康。かつてはおニャン子クラブをプロデュースした、放送作家兼作詞家でもある。

 普通、55歳といえば中年も終盤にさしかかり、新しい流行に疎くなり、時代の変化に対応しにくくなる年代であろう。それにも関わらず、なぜ彼は流行の激しい時代をトップランナーとして走り続けているのか、非常に興味のあるところである。

 しかし、私はあまりこの人の経歴等を詳しく知らないので、平成23年6月10日現在、同じ55歳でありながら、同じくトップランナーとして走り続けている二人のタレントについて話すことにしよう。

 ひとりは、「お笑い怪獣」こと明石家さんま。もうひとりは、複数の番組をプロデューサー的に仕切る島田紳助。

 両者は、巧みな戦略によって今の地位を維持しているといえる。それは、ビジネスにも通じる緻密なものであるのだ。では、その戦略とはいかなるものか。ここで、そのいくつかを紹介することにしよう。


<中年期からの若手との競演>
 さんま・紳助は、自分達が中年に差し掛かった頃から、積極的に若いお笑い芸人やタレントと競演することが多くなった。おそらくこれは、若者と絡むことにより、若者の持っている感性や言葉の間合いなどを吸収することを狙っていたのであろう。

 ひとつずつ例を挙げておくと、さんまは今なおモーニング娘。と「ヤングタウン」というラジオ番組をやっているし(どこがヤングやねん)、紳助はヘキサゴンファミリーを構成し、若いタレントや芸人達のボスとして君臨している。

 これの逆のパターンが、彼らの10年ほど先輩である西川きよし・桂三枝だ。きよし・三枝は、40歳を過ぎたあたりから急激に時代の流れについて行けなくなり、かつての輝きを見せることは出来なくなった。

 西川きよし・桂三枝がそのパワーにかげりが見え始めた頃、彼らの共演者は、かれらと馴染みである中堅からベテランのタレントばかりであった。これでは、笑いのパターンはこれまでと変わることはなく、いつのまにか時代の流れに飲み込まれていったのである。

 おそらく後輩であるさんま・紳助は、きよし・三枝がパワーダウンして行く姿をつぶさに観察・分析していたに違いない。


<趣味を語るさんま・紳助>
 10代の読者なら意外に感じるかもしれないがほんの15年~20年ほど前までは、バラエティ番組においても、タレントが自分の好きな趣味やスポーツなどの嗜好について語るということはほとんどなかった。それを打ち破るかのように、さんまは「世界のサッカー選手やチーム」を語り出し、紳助は「青春・仲間・恋愛」といった泥くさいものをおもしろおかしく語り始めた。

 つまり、「サッカーに詳しいさんま」「青春をおもしろおかしく語る紳助」という新たな付加価値を与えることに成功したのである。これがインターネットの普及と共に価値観が多様化し、さまざまな個性を求める風潮にマッチしたといえるかもしれない。どちらにしろ、これらの戦略により、彼らのトップランナーとしてのタレント生命はぐっと伸びたのである。

 このようにさんまや紳助の活躍を見ていると、

・失敗事例に学ぶ
・新しいものを積極的に取り入れる
・こだわりを持つ

といったビジネスにも、重要な役立つキーワードが並ぶ。

 明石家さんま、島田紳助。中年終盤のオッサンながら、時代のトップランナーとして売れるだけの理由があるのだ。

(敬称略)

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