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日本の未来について悲観的な情報ばかりが飛び交う昨今ですが、一筋の光が明滅するのを最近実感します。それは成功企業の中に、アメリカ型経営とは一線を画す日本古来の伝統経営哲学がしばしば見出されるようになったことです。数百年の風雪に耐えて今なお顧客や社会に支持される老舗企業に特有な哲学や経営姿勢が、図らずも若いベンチャー企業群に見出される――その経営の在り方を「主客一如型経営」と名づけ、今後の日本の産業界をリードし、再生に導く存在になり得るものと期待しています。本ブログではこの主客一如型経営に関し、その原動力となる「不変と革新」というキーワードから解明してゆきたいと思います。

欧米人に見る「滅私奉公」

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滅私奉公と言えば、昔の日本人の専売特許のように思われがちです。

 

実際、戦後復興期から高度経済成長期の日本の産業界を支えたのは、企業戦士たちの滅私奉公でした。

 

しかし、欧米における組織の実態をつぶさに観察してみるならば、現代の欧米において、「滅私奉公」が、しばしば「不変」の対象として貫徹されているケースに出くわします。

 

そこで、今回は、その典型例として、非常にわかりやすい「ツール・ド・フランス」の事例をご紹介したいと思います。

 

下記は、フジサンケイビジネスアイで私が担当した全44回の連載の中の、第37回として、2008年8月5日に掲載された記事です。

 

 

欧米人に見る「滅私奉公」

 

欧州で100年を超す歴史を有し、サッカーやアルペンスキーなどと並ぶ人気を誇るスポーツにサイクル・ロード・レースがある。

その最高峰「ツール・ド・フランス」をテレビ観戦した。

 

このレースは、1ステージ(1日)200km前後、全21ステージを自転車で走り抜き、その総合タイムを競う。

ピレネーやアルプスを走破するステージは特に見もので、2000m級の山を1日に2つ3つ越える。

 

参加する選手は、9人で1チーム、約20チームが参加。

フランス、スペイン、イタリア、ドイツ、スイス、アメリカ、オーストラリア等などの「世界の精鋭」が一堂に会する。

 

この種目の本質は「滅私奉公」にある。

自チームの「エース」を総合優勝へと導くために、残りの8人はアシストに徹する。「エースの栄光=チームの栄光(=自分の栄光)」という価値観だ。

 

野球やサッカーなど他の団体競技と異なり、この種目では、エース以外は「華麗なプレー」を披露することのない黒子である。

エースの「風よけ」「ペースメーカー」として先導したり、補給食や飲み物を監督車から受け取ってチームメートに配ったり、他チームを牽制・撹乱するために鉄砲玉のように飛び出したり。

 

彼ら一人一人は国際大会で数々の優勝歴を持つ「英雄」でありながら、黙々と、黒子の仕事に徹している。

実力から言えば、各ステージで優勝を狙える選手たちで、場合によっては、総合成績でも上位を狙えるのに、エースのために個人としての栄光を捨てる。

 

こうした滅私奉公は、しかし、本来、日本の得意技だったのではないか。

1980年代、日本企業の強さの秘密を解明しようと国内外で日本人論がしきりに唱えられ、「日本的集団主義」が論壇を賑わした。そして、そのキーワードとして「滅私奉公」が論じられた。

 

ところが、90年代以降、その日本的集団主義を制度的に支えてきた年功序列・終身雇用制が崩壊し、成果主義が主流になるや、滅私奉公は死語になってしまう。

 

「ツール・ド・フランス」に出場している欧米の選手たちは、「~的集団主義」を声高に叫ぶこともなく、滅私奉公を受け入れ、「誇りと自覚」をもって、100年以上、それを継承し、今も走り続けている。

 

それに対して、日本人は、自分たちの遺伝子に刻まれた「国民性」とまで言い切った滅私奉公を捨て去り、企業内では、「個人最適」が幅を利かせている。

 

個々の企業の「不変と革新」を論じる以前に、日本が、あるいは日本人一般が「不変」と「革新」の対象を的確に識別し得ていないのではないか。

それゆえに、今日のような企業風土の全般的荒廃を招いているのではないだろうか。

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