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日本の未来について悲観的な情報ばかりが飛び交う昨今ですが、一筋の光が明滅するのを最近実感します。それは成功企業の中に、アメリカ型経営とは一線を画す日本古来の伝統経営哲学がしばしば見出されるようになったことです。数百年の風雪に耐えて今なお顧客や社会に支持される老舗企業に特有な哲学や経営姿勢が、図らずも若いベンチャー企業群に見出される――その経営の在り方を「主客一如型経営」と名づけ、今後の日本の産業界をリードし、再生に導く存在になり得るものと期待しています。本ブログではこの主客一如型経営に関し、その原動力となる「不変と革新」というキーワードから解明してゆきたいと思います。

いまだに東大神話を信奉する人々

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今から20年前、私は、「わが子を中学受験で破滅させない法」(主婦の友社)という単行本を執筆しました。

 

当時は、バブル経済末期で、産業界は、「終身雇用・年功序列」が崩壊する以前のことでしたが、私は、"東大神話"が最早崩壊し、従来型の偏差値秀才を作るような子供の教育が、教育投資という観点からも、子供の将来のためにも決して得策でないことを明らかにしました。

 

私にとって処女作となるこの作品は、お蔭様を持ちまして、大きな社会的注目をいただくことができましたが、先日、この本が未だに中古市場で取引されていることを知って心底、驚きました。

 

それは、取りも直さず、この作品の中で私が主張した内容が少しも古くなっていない・・・・要するに、この20年間の劇的な環境変化にもかかわらず、その当時と同じ価値観に立って子供の教育をしている父母・教師がたくさんいるということです。

 

実際、アメーバ・ブログをやっていて、地方の親御さんたちとも交流があるのですが、大多数の方々が、東大神話を信奉しているのには、驚かされます。

 

地方の有名な県立高校出身の20代半ばの女性から最近聞いたのですが、東大などの国立大学を最初から除外して、私大のA.O入試に賭けていた彼女は、教師からも白い目で見られ、非常に居心地の悪い高校生活を送っていたとのこと!!

ちなみに、その彼女は、慶応義塾大学を出て、マスコミで大いに活躍しています。

 

一体全体、昭和の亡霊のような"東大神話"は、日本の、子を持つ親御さんたちにとって、「不変」の対象なのでしょうか?

 

そこで、今回は、この問題に関して、下記の記事をご紹介したいと思います。

フジサンケイビジネスアイで私が担当した全44回の連載の中で、第20回として、2008年4月1日に掲載されたものです。

本記事は、主として、首都圏の、子を持つビジネスパーソンの方々から大きな反響をいただきました。

「入学・就職の季節が到来した」などと、いかにも季節外れな冒頭ですが(笑)、その内容には、季節を問わない普遍性があると、私は思います。

 

 

 

子供の進路設計、機会損失防げ

 

入学・就職の季節が到来した。

街中には新生活を始める若い人々の華やぎがあふれている。

 

彼らを見ていて感じることがある。

「どれだけの人が自分の持ち味を生かせる進路を選択しているのだろうか」と。

 

というのも、産業界の人材ニーズと教育現場の進路・受験指導との間には、いまなお深い溝があるからだ。

 

たしかに、高度成長期までは、東京大学を頂点とするピラミッド構造の上位校を出ることが、就職やその後の人生を安定させる要因になり得た。

それゆえ、多くの子供が小学生のころから勉学一筋で"偏差値秀才"への道を邁進したのである。

 

しかし、時代は変わった。

とりわけバブル崩壊以降、産業界は、より多様な価値観・能力・経験を有する人材を求めるようになった。

それに呼応するかのように、大学もまた、「A.O入試」「一芸一能入試」をはじめ、選抜方法を多様化することで、それまでの入試方法では見出しにくかった、しかし、時代のニーズに適合した人材を積極的に発見し、その才能を伸ばそうと努めるようになった。

 

1991年、私は「わが子を中学受験で破滅させない法」という本を出した。

その中で、

これからの時代、偏差値秀才型進路設計では、教育投資の費用対効果はもとより、子供が社会に出てからの環境適応や自己実現という点からも得策でないこと、

むしろ、慶應・早稲田など各大学の入試方法の多様化推進を見据えて、子供にさまざまな社会経験の機会を与え、適性の発見と伸張を図り、その中で、その子にふさわしい将来像の構築(人生のミッションとの出会い)と、その実現手段としての学校選びを支援すべきこと、

を説いた。

 

あれから17年経過したが、私がこの数年間に取材した、今まさに輝く若手中堅ビジネスパーソン約50人の中に、東大卒も勉学一筋の偏差値秀才もいないのは、決して偶然ではない。

 

こうした環境変化にもかかわらず、いまなお高度成長期的価値観からの「連続性」の中で子供の進路を考える父母や教師が多数を占めているのは残念なことだ。

 

本欄の第17回で述べたように、環境変化の「非連続性」の下で連続性を前提にした環境対応をすると、その結果は悲劇的である。

 

「子供が大人になったときに人生の選択肢が多数確保されるように」という美名のもと、子供を受験マシーンにすることが、その子が本来有しているだろう適性を発見する多くの機会を失わせ、人生の選択肢を限定することになる矛盾に気づくべきだ。

 

さまざまな社会経験の機会を与え、子供の視野を拡大することで適性発見を促進し、ミッションとの出会いを支援することこそが、子供の幸福、ひいては産業界の発展に繋がることを肝に銘じたい。

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