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日本の未来について悲観的な情報ばかりが飛び交う昨今ですが、一筋の光が明滅するのを最近実感します。それは成功企業の中に、アメリカ型経営とは一線を画す日本古来の伝統経営哲学がしばしば見出されるようになったことです。数百年の風雪に耐えて今なお顧客や社会に支持される老舗企業に特有な哲学や経営姿勢が、図らずも若いベンチャー企業群に見出される――その経営の在り方を「主客一如型経営」と名づけ、今後の日本の産業界をリードし、再生に導く存在になり得るものと期待しています。本ブログではこの主客一如型経営に関し、その原動力となる「不変と革新」というキーワードから解明してゆきたいと思います。

大学の学級崩壊~迷走する大学・暴走する学生

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少子化の劇的な進行によって、今や「大学全入時代」を迎えています。

 

一部のブランド大学は、それなりの競争率があり、学生数も確保できますが、中堅以下の大学は、入学定員を確保するのが難しい状況です。

 

特に厳しいのは、偏差値測定不能レベル、いわゆるフリー・レベルの大学でしょう。

受験さえすれば、どんな低得点でも合格させるものの、それでも定員確保ができないと証言する関係者もいます。

 

大学経営をめぐる、こうした不健全な状況は、学内に、ある「変化」をもたらしているようです。

 

 

 

<暴走する学生たち>

ある世界的大企業の重役だった知人が、そうした大学の教授に就任したのですが、その後お会いした同氏は生気のない顔で次のような話を聞かせてくれました。

 

授業中、学生たちが私語ばかりして、全然授業にならないので、何度も注意をしたものの、それでも静まらないということで、一番騒いでいる学生に対して「出てゆけ!」と怒鳴りつけたとのこと。

 

すると、その学生は、出てゆくどころか、教授に向かって「てめえが出てゆけ!」と凄んでみせ、他の学生たちもそれに同調するような姿勢を見せたので、それ以上、何も言えなかったというのです。

 

 

こうした話には枚挙に暇がありません。

 

レポートや試験で自分の望む評価が得られなかったと言って、担当教員を恫喝するなど日常茶飯事で、中には、大学の理事長宅にまで押しかけて暴れた学生もいるそうです。

 

 

某大学では、授業中に教員が目線をどこに置くべきかの指導もあります。

階段教室の最後端と天井の中間付近に目線を置くのだとか。

 

なぜだか、おわかりになりますか?

 

男子学生と目が合えば、「ガンつけたな!」ということで暴力を振るわれる可能性があり、女子学生と目が合えばセクハラとして騒がれる可能性があるからだそうです

 

 

 

<ミッションを見失った一部の大学>

従来、大学とは、「学び」の場であり、「学問研究」の場だった筈ですし、それは、洋の東西を問わず、時代を超えて変わることのない"大学の基本的なミッション"として、「不変」の対象だったはずです。

 

しかし、上記のような大学においては、それは「不変」どころか、ほぼ完全に失われています。

 

そこにあるのは、"学級崩壊"。

 

事実上の無試験で入学した学生の側からすれば、「卒業しても、企業に正社員として雇用される可能性がないような大学に高いお金を払って入ってやったんだから有難く思え」という気持ちがあるのかもしれません。

 

実際、ある大学では、経営学を専攻しても、学部卒だと、地元の中小企業でも正社員入社ができないので、正社員になりたい学生は大学院に進学するとのこと。

 

 

こうした異常な事態を招いている要因を、大学経営の中から見つけてみましょう。下記は、その代表的なケースです。

 

 

 

<大学の迷走>

定員確保に焦るせいでしょうか、マスコミで名の知れた人や有名企業の要職経験者を、論文一本書いた経験すらなくても、教授として採用するケースが非常に多く見られます。

 

いわゆる「人寄せパンダ」ですね。

 

もちろん、そうやって大学に「就職」した方々であっても、真剣に研究活動に取り組み、学問的な業績をあげ、学生の信頼の厚い方も多々いらっしゃいます。

 

しかし、その一方において、大学の"広告塔"として機能することで自己満足し、研究に取り組むどころか、授業においても、現役時代の自慢話に終始したり、女子学生と噂になったりして、学生たちから愛想を尽かされている人も少なくないようです。

 

私の知人のビジネスパーソン(誰もがその名を知る大手メーカーの50代営業マン)も、そろそろ、どこかの大学に「教授」として転職しようと仲間内で画策していると、先日語っていました。

彼によれば、論文など書いたことなくても、いくらでも潜り込む手はあるとのこと。

 

別の知人(テレビ関係者)は、大学から誘われたので、「論文も書いたことがない」と固辞したところ、「対談かなんかで単行本になったり記事になったものがあれば、それで十分」と言われたそうです(しかし、彼は丁重に辞退しました)。

 

問題は、こうした人事をめぐる話だけでに留まりません。一事が万事です。

 

 

 

<「迷走」と「暴走」のデススパイラル>

結局、少子化による経営難時代を迎え、一部の大学が、「不変」の対象であるべき「高等教育&学問研究」という、大学の最も重要なミッションを放棄してしまったことで、大学の迷走が広がったのではないでしょうか?

 

誤解を恐れずに言うならば、「入学金+授業料と引き換えに、学士の称号を与える」ところになっているのではないか?

 

それを敏感に察知した学生側は、「高い代金を払ったのだから、ごちゃごちゃ言わずに、黙って卒業証書を出せ!」「こっちは高い金を払った客なんだから、在学中、どう振舞おうと、勝手だろ!」という気分になっているように感じます。

 

 

暴走する学生たちに接した時、彼らが一様に口にするフレーズがあります。

 

それは・・・・「どうせ・・・・!」です。

 

「大学くらいは出ろ!」と親から強いられて入学してはみたものの、卒業したって就職先はなく、先輩たちの多くはフリーターになっているし、大学の授業だって、まるでヤル気のない教員たちの退屈な授業ばかり・・・・・

 

少子化という環境変化に適応し損ねた大学の迷走が、学生の暴走を招き、それが大学側のさらなる迷走を生み出す・・・・という悪循環に陥っているように見えます。

 

「不変」と「革新」の対象の"識別"に失敗して迷走を続ける一部の大学群!!

 

 

「いずれは"自然淘汰"され、まっとうな大学だけが残っていくだろう、今はその過程の混乱期に過ぎない」という見方もあり得るでしょう。

 

しかし、その一方においては、「悪貨は良貨を駆逐する」というトマス・グレシャムの言葉を用いて、日本の大学全体に悪影響を及ぼしていると指摘する意見もあるでしょう。

 

そのどちらであれ、将来への希望を持ちにくい環境の下で、暴走する学生たちが毎年続々「再生産」されている現実だけは、早急に正す必要があるのではないでしょうか?

 

 

 

 

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