名門ウィーン・フィルに転機(上)
過去4回の記事の中で、経営の基本姿勢のとしての「主客一如」型経営、そして、経営の実体的内容としての「不変貫徹・革新断行」型経営について、事例を挙げながら、概説させていただきました。
そこで、今回からは、しばらく、その「不変貫徹・革新断行」型経営について、具体的に検討してみたいと思います。
というのも、「主客一如」型経営は、純粋に日本の伝統的経営哲学ですが、その実体的内容としての「不変貫徹・革新断行」型経営に関しては、欧米企業にもそのまま応用され得るグローバル普遍性をもった経営スタイルだからです。
今後、日本の経営組織が、グローバル市場において、「主客一如」型経営を打ち出してゆく場合においても、実体的内容において"グローバル普遍性"を獲得していることは、諸外国のステークホルダーからの理解・受容・共感・信頼・尊敬を勝ち得てゆく上で、たいへん重要なポイントになると、私は思うのです。
そこで、欧米の経営組織をも含めたかたちで、「不変貫徹・革新断行」型経営の重要性と、その難しさについて、様々な視点から解明してゆこうと考えた次第です。
というわけで、今回と次回、ヨーロッパにおける老舗経営組織の代表的存在であるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を例に挙げてみたいと思います。
下記の小論は、今から2年半前、2008年1月8日に、フジサンケイビジネスアイでの私の全44回の連載の第9回分として書いたものです。
名門ウィーン・フィルに転機(上)
新春の恒例行事に、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の「ニューイヤーコンサート」がある。世界百数十カ国に毎年同時中継されているので、読者のなかにも、観た方が多いのではないだろうか。
このウィーン・フィルこそは、オペラの殿堂ウィーン国立歌劇場の専属オーケストラ有志によって165年の長きにわたって自主運営されてきた団体であると共に、その間、世界最高の名門オーケストラとして君臨し続けた存在である。
なぜウィーン・フィルは、そんな長期間、世界のトップで居続けられたのか。
それは、創立以降、「不変」と「革新」の識別能力にたけていたからである。
第2次大戦後、新興勢力のアメリカを中心に、世界の主要オーケストラが「現代性」や「グローバル普遍性」を指向し、演奏技巧の高度化を追求していった。
ところが、ウィーン・フィルは違っていた。ハイドン、モーツァルト、シューベルト、シュトラウス一家、ブルックナー、マーラーと続いた「ハプスブルク帝国以来の音楽的伝統を、"今を生きる芸術"として再現すること」を「ミッション」として堅持したのである。
すなわち、「不変」と「革新」の識別を通じて、「歴史性」「地域性」と、「現代性」「グローバル普遍性」とのバランスを指向したのである。
そのために、ウィーン・フィルは、「システム/プロセス」、「組織能力」の面で、独自のルールを確立させた。
第1に、ドナウ川の水を産湯に使ったオーストリア人男性で、かつ、ウィーンの音楽大学でウィーン・フィルの楽員から直接指導を受けた音楽家の中から楽員を選抜することにし、本拠地として、伝統と格式を誇る「ウィーン楽友協会大ホール」を使い続けたのである。
これは、すなわち、1. 楽員のDNA(遺伝子) 2. 演奏様式 3. 楽器 4. 演奏会場―を「不変」の対象としたことに他ならない。
ウィーン・フィル特有の優雅で気品に満ちた音色・表現は、こうして守られてきた。
そして第2に、その時代を代表する巨匠・天才指揮者たちを招いたのである。「楽曲解釈」という面で、大胆な「革新」を断行し、"今を生きる芸術"として、人々の心にメッセージを送り続けたのである。
マーラー、リヒャルト・シュトラウス、ワインガルトナー、クレメンス・クラウス、ワルター、フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、シューリヒト、ベーム、カラヤン、バーンスタインなど、百花繚乱の豪華な指揮者陣の顔ぶれは、世界の音楽史そのものと言ってよかろう。
ところが、そのウィーン・フィルが今、大きな転機を迎えている。なぜか? (続)