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オレたちは、赤塚不二夫のまんがで育ったのだ

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永井さんが、「デビュー当時のタモリの思い出」という投稿をされましたが、そのタモリは昔、大分県日田のボーリング場の支配人だったのです。それを上京させ、芸能界入りさせたひとりが、赤塚不二夫だ。

赤塚不二夫といえば、「天才バカボン」「おそ松くん」「もーれつア太郎」「ひみつのアッコちゃん」などの代表作がある。手塚治虫と同じようにスターシステムのような感じでキャラクターがいろいろな作品に出てきていた。

赤塚不二夫のまんがはギャグまんがの王道を行くもので、おそ松くんに出てくるイヤミの「シェー」は、当時爆発的な人気であった。なにしろ、映画の中でゴジラがシェーをしたぐらいだから。5歳下の私の妹ですら、シェーをした写真が残っている。

バカボンのパパがやはり圧巻だろう。ナンセンスギャグってのは、こんなもんだ、というお手本のようなもの。でも、ほんと、ばかばかしくて面白い。こんな「ばか」なまんがを読んで、オレたちは育ったんだよな、って思う。いま、こんなばかなもの自体がない。お笑いタレントを見ても、笑えないし(まあ、それは私の感覚が古くなったからか)。

赤塚不二夫のまんがが大流行りだった昭和40年代は、最近の「三丁目の夕日」または「トトロ」の昭和30年代に比べ、ベトナム戦争があり、高度成長があり、学生運動があり、ストあり、機動隊と反代々木派の激突があり、などなど、実は殺伐とした時代だったのだ。だけど、子供のオレたちは赤塚不二夫のまんがで、ばか笑いすることができた。ささやかな、幸せであった。

だから、イヤミ、チビ太、デカパンのおじさん、おそ松くん6人兄弟、バカボン、ハジメちゃん、レレレのおじさん、ピストル撃ってる本官さん、ウナギイヌ、ケムンパス、ベシ、夜のいぬ、ハタ坊、ダヨーンのおじさん、ア太郎、デコっ八、ココロのボス、ニャロメ、そしてバカボンのパパ。ありがとう
 
今度、講談社と小学館から同時に天才バカボンの単行本が出た。なぜ2社かというと、ずっと「少年マガジン」に連載していた天才バカボンが、なぜか途中で「少年サンデー」に連載が移ったのだ。この2社が同じサイズで、同じデザインで、同時に単行本を出す事になったのは、偶然ではなく、両社が計画したのだ。そんな会社の壁なんて簡単に超えてしまうまんが、そんなにない。それに、講談社、小学館の両社もほめてあげたい。
 
赤塚不二夫は Wikipedia によると、2004年4月に脳内出血で倒れ、いまだ意識不明の植物状態なのだそうだ。

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