サッカーは、「にくしみから出発した競技」、なのか
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最近はあまり取りざたされない寺山修司だが、ほんとうに久しぶりに寺山修司の本を手に取った。「書を捨てよ、町へ出よう」は、寺山修司の代表作である。そのなかに、こんなフレーズがある。
私がサッカーを愛する何よりの理由は「にくしみから出発した競技」だということである。蹴る、足蹴にする、という行為には、ほとばしるような情念が感じられる。
たしかに、サッカーは攻撃的である。まず、サッカーコートの半分が自分の陣地であり、自分の陣地をまもりつつ、敵の陣地に乗り込んで、
あの頭蓋骨大のボールを蹴りながら、相手のゴール(ホームではない!)へ駈けてゆく・・・
のである。まるで、戦争のようだ。サポーターたちは得点が入れば狂喜し、得点を取られれば、激怒する。応援する側も命がけだ。ほんとうに生死を左右する暴動に発展することもある。
血が、ふつふつと騒ぐのだ。
サッカーの試合をテレビで見ていて、冷静でいる自分がいると、あの狂気を怖いと感じることさえある。人間の本質が見えるからなのかも、知れない。ラモス、がんばれ。
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