通信大手が断行するAIシフトと資本の構造改革
英国のテクノロジー調査会社Omdiaが2026年1月21日に発表した最新レポート『Telcos' Strategic Investments in AI Infrastructure』は、世界の通信業界に新たな潮流が生まれていることを浮き彫りにしました。通信事業者(Telco)が、従来の通信インフラへの投資から、AIインフラへの投資へと大きく舵を切っているという内容です。
Omdia: Telcos scale AI infrastructure investment amid rising sovereignty and compute demand
背景には、世界的なAI計算需要の爆発的な増加に加え、「データ主権(Sovereignty)」への意識の高まりがあります。各国政府や企業が、データの保管場所や処理主体を国内・域内に限定しようとする動きは、グローバルな巨大IT企業(ハイパースケーラー)に対抗し、地場の通信事業者が復権する好機となっています。
本記事では、Omdiaのレポートに基づき、通信事業者がなぜ今、AIインフラへ巨額投資を行うのか、その戦略的な背景と多様な実行モデル、そして具体的な収益化の兆しについて詳述します。さらに、単なるインフラ提供に留まらない、通信業界が直面する構造的な転換と、今後の展望について取り上げたいと思います。

データ主権がもたらす地殻変動と通信事業者の勝機
Omdiaの分析によると、通信事業者がAIインフラへの投資を拡大させている最大の要因の一つは、「データ主権」に対する世界的な要求の高まりです。欧州連合(EU)における「ギガファクトリー」のような国家的・地域的な取り組みは、AI開発やデータ処理を域内で行うことを強く推奨しており、これが通信事業者にとって追い風となっています。これまではAWSやMicrosoft Azureといった米国のハイパースケーラーがクラウド市場を席巻していましたが、機微な情報を扱う政府機関や特定産業においては、物理的に国内に拠点を持ち、現地の法規制に精通した通信事業者が「信頼できるパートナー」として再評価されている状況です。
通信事業者は、すでに国内各地に強固なデータセンター網やネットワーク拠点を保有しています。この既存資産を活用し、AI計算に必要なGPUリソースを分散配置することで、低遅延かつセキュアなAI環境を提供することが可能となります。これは、ハイパースケーラーが容易に模倣できない、通信事業者ならではの構造的な優位性といえます。Omdiaのシニアアナリスト、ジュリア・シンドラー氏が指摘するように、AIトラフィックの急増と国家主権の取り組みの結合は、通信事業者がリーダーシップを発揮するためのまたとない機会を創出しているといえるでしょう。
レガシーからの脱却と資本配分の構造的転換
今回のレポートで注目されるのは、通信事業者の投資行動における「構造的なリバランス」です。多くの通信グループにおいて、AIインフラへの投資は単なる追加的な出費ではなく、従来の通信設備(レガシーコネクティビティ)への設備投資(CAPEX)を削減し、その資金をAI分野へと振り向けるという、痛みを伴う戦略的な意思決定の結果として実行されています。これは、音声通話や単純なデータ通信といった従来型ビジネスの成長鈍化を見据え、企業の存続をかけた事業ポートフォリオの入れ替えが進んでいることを示しています。
例えば、ソフトバンクや韓国のSKテレコム(SKT)、カタールのOoredooといった先進的な通信グループは、AIインフラを将来の成長エンジンと位置づけ、経営資源を集中させています。これまでの通信業界は、ネットワークの品質やカバレッジを競争の主軸としてきましたが、これからは「どれだけ高度なAI計算能力を提供できるか」が競争力の源泉となると考えられます。既存の通信インフラへの投資を最適化・縮小しつつ、AI向けのデータセンターやGPUクラウドへの投資を加速させるこの動きは、通信事業者が「土管屋(Dumb Pipe)」からの脱却を本気で目指している現れと捉えることができます。
多角化する実行モデルと組織戦略の最適化
AIインフラへの参入にあたり、通信事業者が採用するアプローチは一様ではありません。各社は自社の置かれた市場環境や財務状況、リスク許容度に応じて、最適な組織構造を模索しています。Omdiaの調査によると、一部の通信事業者は、AIインフラ事業を専門に行う子会社を設立する道を選んでいます。サウジアラビアのSTCによる「Center3」や、フランスのIliadによる「Scaleway」などがその代表例です。別会社化することで、通信事業特有の重厚な意思決定プロセスから切り離し、迅速な経営判断やAI人材の獲得を可能にする狙いがあります。
一方で、シンガポールのSingTelのように、ジョイントベンチャー(JV)を通じてリスクを分散しながら大規模な投資を行うケースも見られます。また、SKTやソフトバンクのように、グループ全体の戦略をAI中心に再編し、本体が主導して強力に推進するモデルも存在します。どのモデルを選択するにせよ、共通しているのは「通信事業の付帯サービス」としてではなく、独立した収益の柱としてAIインフラ事業を成立させようとする明確な意思があります。この多様なアプローチは、通信業界がAI時代において試行錯誤しながらも、着実に適応しようとしているダイナミズムを示しています。
収益化の具体化と野心的な成長目標
AIインフラ投資に対する懐疑論も一部には存在しますが、先行する通信事業者の実績は、この分野が確実に収益を生み出し始めていることを示しています。Omdiaのデータによると、韓国のSKTでは、2025年第3四半期の時点でデータセンター収益がすでに全収益の4%を占めるまでに成長しており、同社は2030年までにこの分野で1兆ウォン(約1,100億円)の収益を目指すとしています。これは、AIインフラがもはや「実験的な取り組み」ではなく、事業の屋台骨を支える現実的なビジネスになりつつあることを証明しています。
また、中東の通信大手Ooredooは、デジタルインフラがグループ収益に占める割合を、2025年の3%から2030年には12%まで引き上げるという野心的な目標を掲げています。このように、通信事業者がAIインフラへの投資を「コスト」ではなく、将来のキャッシュフローを生み出す「資産」として捉え直している点は重要となります。GPU・アズ・ア・サービス(GPUaaS)やAIに特化したデータセンターサービスの需要は、生成AIの普及に伴い今後も拡大が想定されます。これらの具体的な数値目標は、投資家や市場に対し、通信事業者の新たな成長ストーリーを説得力を持って提示するものとなるでしょう。
AI-RANとネットワークの融合が拓く可能性
通信事業者がAIインフラに取り組むもう一つの重要な側面は、通信ネットワーク自体の高度化、すなわち「AI-RAN(Radio Access Network)」への展開です。アジア、欧州、カナダなどの通信事業者は、クラウドやデータセンターへの投資に加え、無線アクセスネットワークにAIを組み込むための投資を強化しています。AIを活用してネットワークの運用を自動化・最適化することで、運用コストを削減すると同時に、より高品質な通信サービスを提供することが期待されます。
さらに、AIの計算基盤と通信ネットワーク基盤が融合することで、新たなサービス提供形態が生まれる可能性があります。例えば、エッジコンピューティングとAIを組み合わせることで、自動運転やスマートシティ、リアルタイムの産業用ロボット制御など、超低遅延が求められるアプリケーションに対し、通信と計算能力をセットで提供することが可能となります。これは、単にインフラを貸し出すだけのビジネスモデルを超え、通信事業者が社会のデジタルトランスフォーメーション(DX)を支える不可欠なプラットフォーマーへと進化する道筋を示しています。通信とAIの融合領域こそが、ハイパースケーラーに対する通信事業者の最大の差別化要因となるでしょう。
今後の展望
通信事業者によるAIインフラへの投資拡大は、データ主権という追い風を受けた必然的な戦略転換といえます。Omdiaのレポートが示すように、通信事業者はレガシーな収益構造に見切りをつけ、AIという新たな成長領域へ資本を集中させています。今後は、単にGPUサーバーを並べるだけでなく、自国の法規制に準拠したセキュアな環境構築や、通信ネットワークと融合した低遅延サービスの提供において、いかにハイパースケーラーと差別化できるかが成功の鍵となるでしょう。
一方で、技術革新のスピードが速いAI分野において、継続的な設備投資に耐えうる財務体質の維持も求められます。通信事業者には、自前主義に固執せず、半導体メーカーやAIスタートアップと連携し、エコシステム全体を牽引するオーケストレーターとしての役割が期待されます。AIインフラを起点とした新たな産業構造の構築は、通信業界が次の10年を勝ち抜くための不可欠な条件となるのかもしれません。