2030年、3割の企業で判断力が劣化する:ガートナーが鳴らすAI依存への警鐘
ガートナーが2026年1月27日に発表した予測と提言は、生成AIの普及がもたらす「組織能力の隠れた危機」を浮き彫りにしました。ガートナーは「2030年までに企業の30%が、AIへの過度な依存により意思決定の質を低下させる」との見解を示しています。
生成AIは業務効率を劇的に向上させる反面、若手社員から「経験を通じて学ぶ機会」を奪いつつある状況です。これは、将来の専門家(エキスパート)が育たないという、人材パイプラインの断絶を意味します。なぜ、AIによる効率化が組織の知能低下を招くのでしょうか。
今回は、ガートナーが提示した「従業員の4つのアーキタイプ(原型)」の分析を通じ、AI時代における人材育成の構造的な課題と、CHRO(最高人事責任者)が講じるべき具体的な対策について取り上げたいと思います。

AI依存が招く「意思決定の劣化」という未来
ガートナーの予測である「2030年までに30%の企業で意思決定の質が低下する」という警鐘は、多くの経営層にとって意外なものかもしれません。AIは本来、データに基づく精度の高い判断を支援するものだと考えられているからです。ガートナーのリサーチディレクター、ケリン・ローマスター氏は、この逆説的な現象の背景に「経験の浅い従業員によるAIへの過信」があると指摘しています。
2025年8月の調査では、人事リーダーの4人に1人以上が、AIの影響ですでに職務やスキル要件を再定義したとしています。問題は、生成AIがもっともらしく出力する誤り(ハルシネーション)や、文脈を無視した不適切なコード、法的リスクのある文書を、経験の浅い社員が見抜けない点にあります。AIツールは答えを即座に提示しますが、その答えが正しいかを判断する「審美眼」までは提供しません。結果として、組織全体のリスク管理能力や戦略的な判断力が、静かに、しかし確実に蝕まれていくリスクが想定されます。
従業員の4つのアーキタイプと「プロテジェ」の危機
AIが従業員に与える影響は一律ではありません。ガートナーは、従業員を「蓄積された経験(Accumulated experience)」と「経験への依存度(Experience reliance)」の2軸で分類し、4つのアーキタイプを提示しています。
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マエストロ(Maestros): 豊富な経験を持ち、複雑な業務をAIで拡張できる熟練者。
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スチュワード(Stewards): 定型的な業務において知識と信頼性を提供するベテラン。
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キーストーン(Keystones): 経験は浅いが、サポート業務においてAIを活用し成果を出せる層。
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プロテジェ(Protégés): 将来の幹部候補や専門職候補である若手層。メンターの指導の下、複雑な判断が求められる業務を学ぶ段階。
もっとも警戒が必要となるのが「プロテジェ」です。彼らは将来のエキスパート候補ですが、現在は十分な経験がありません。AIに頼ることで表面的なアウトプットは作成できますが、そのプロセスで培われるべき「判断力」が欠落する恐れがあります。
「下積み」の消滅と学習機会の喪失
かつて、若手社員は議事録作成や基礎的なコーディング、資料の一次調査といった「下積み業務」を通じて、仕事の勘所や業界の文脈を学んでいました。これらは単なる作業ではなく、上位者の思考プロセスを追体験する重要な学習機会でした。生成AIは、こうした業務を一瞬で完了させます。
ローマスター氏が指摘するように、ここには「経験構築の機会損失」という重大なリスクが潜んでいます。AIがタスクを自動化することで、プロテジェたちは自らの頭で考え、試行錯誤する時間を失います。業務は効率化されても、その裏で「なぜその結論に至るのか」という論理的思考力や、文脈を読み解く力が育まれません。結果として、AIの出力結果が正しいかどうかを検証できないまま業務を進めることになり、重大なエラーやセキュリティインシデントを引き起こす可能性が高まります。
人材パイプラインの断絶と組織の空洞化
この問題の本質は、現在のミスだけにとどまりません。長期的には「マエストロ(熟練者)」の枯渇という深刻な事態を招くと考えられます。マエストロは一朝一夕には生まれません。プロテジェが数々の失敗と成功を繰り返し、経験を積み上げることで初めて到達できる領域です。
もし若手時代にAIに依存し、本質的なスキル習得をスキップしてしまえば、5年後、10年後に複雑な意思決定を行える人材が社内から消滅します。高度な判断が必要な場面で、誰も「正解」を導き出せなくなる状況です。これは組織の競争力を根幹から揺るがす事態であり、外部からの採用だけでは補いきれない構造的な欠陥となり得ます。AIによる短期的な生産性向上の代償として、組織の長期的な持続可能性が犠牲になるシナリオが現実味を帯びている状況です。
「AIシミュレーター」による新たな育成モデルの構築
では、私たちはAIの利用を制限すべきなのでしょうか。ローマスター氏は、制限ではなく「学習モデルの加速」が必要だとしています。従来のOJT(職場内訓練)に頼るだけでは、AI時代のスピードに対応できません。そこで提唱されているのが以下の3つの戦術です。
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ピアラーニングの構築: プロテジェ同士がAI活用の成功例や失敗談を共有し、相互に学び合う場を設ける。
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専門知の移転インフラ: 業務上の接点がなくとも、マエストロの暗黙知や判断基準にプロテジェがアクセスできる仕組みを整備する。
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生成AIシミュレーターの活用: フライトシミュレーターのように、AIが生成する仮想のシナリオを用いて、リスクのない環境で判断力を養う。
従来の「時間をかけて経験を積む」スタイルから、テクノロジーを活用して「擬似的に経験を圧縮する」スタイルへの転換が求められています。
今後の展望
AIがコモディティ化する2030年に向けて、企業は「効率性」と「習熟」のバランスを再定義する必要に迫られています。これまでは「業務を速く終わらせること」が価値でしたが、これからは「業務プロセスを通じて何を学んだか」を評価する仕組みへの転換が重要となります。
生成AIは「仕事を奪う存在」ではなく、「最高のトレーニングパートナー」として再定義していくことが重要となります。たとえば、AIにあえて誤った回答をさせ、それを人間が見抜く訓練を行うなど、逆説的な活用法も有効です。CHROや経営層には、短期的なROI(投資対効果)だけでなく、10年後の組織図を構想する力が求められます。テクノロジーに依存するのではなく、テクノロジーを使いこなす「真の知性」をいかに育むか。その教育投資が、2030年の企業の生存率を分ける要因になの一つになると考えられます。