誰もが何でもライブ配信できるということ
「過激な描写が含まれる動画」という注意書き付きの動画を再生すると、血まみれで意識がもうろうとしている男性が目に飛び込みます。
「白人警官による黒人ドライバー射殺の経緯を同乗者がFacebookのライブ動画で投稿」という記事を書くため、約10分の動画を最後まで見ました。場所はこの男性、フィランド・カスティリヤさんの車の中。撮影しているのは助手席のラヴィッシュ・レイノルドさん。
動画では、まだ息のあるカスティリヤさんに銃口を向け続ける警官や後部座席にいるレイノルドさんの娘の様子とともに、レイノルドさんによる状況説明が続きます。撮影を続ける彼女に対し、警官が手を挙げるよう命令し、それを無視した彼女は手錠をかけられてパトカーらしき別の車に乗せられてしまいます。動画の後半は警察の車の中でそれまで起きたことを説明するシーン(娘さんがさかさに映っているのは、手錠をかけられたまま撮影したからだと思います)。途中で感情を抑えきれずに泣き叫ぶ彼女を娘が「お母さん、私はここに一緒にいるよ、大丈夫だよ」と落ち着かせようとする様子は、演出のない生のものだからこその、人を動かす力を持っています。
レイノルドさんがFacebookで配信したこの「ライブ動画」は既に500万回以上再生されています。この動画は、白人警官による黒人への暴力に反対するダラスでのデモのきっかけの1つになりました。このデモは平和なもののはずでしたが、同時に白人警官が射殺されるという悲劇が起きました。その犯人を追い詰める警察の様子もまた、Facebookに投稿されています。
スマートフォンさえあれば、誰でもどんな動画でも世界中にライブ配信できるようになりました。チューバッカママのように幸せな気分にさせてもらえるものも、政治的な関心を高めるものも、事件の証拠になるものも。
過激な画像や動画がYouTubeなどに掲載されることはこれまでもありましたが、リアルタイムになった分、さらに管理が難しくなっています(そもそも「管理」すべきかという議論もあります)。
Facebookは問題のあるライブ動画をチェックするために24時間体制の人力チームを持っており、機械学習による検知システムも開発しているようですが、問題ある動画の定義を含め、サービス提供企業の責任はどんどん重くなっていきそうです。