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開発ツールビジネスの再生に格闘。マーケティングの視点で解説

エンバカデロの今に至る開発ツール部門分離の真実 その6

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4月1日付で、これまでヨーロッパ(EMEA)のリージョンVPを務めていたナイジェル・ブラウンが、IDE製品を統括するGMに就任した。日本を含むAPACでは、かつてマーケティング部門の上司であったニック・ジャクソンがIDE製品部門を担当することとなった。

日本では、メンバーは決まったものの、あくまでもバーチャルな組織なので、対外的に部門名があるわけではなく、それぞれの従来組織に属して活動していた。ただ、自分の場合、サポート営業部長という肩書は、あまりにもDevCoのマーケティングとは乖離しているため、

サポート営業部長兼IDE事業展開本部マーケティングディレクター

なる肩書きの名刺を少量生産して使い始めた。

正式な組織ではないため、マーケティング的な活動を始めたといっても、例えばWebサイトに関しては、ボーランドのマーケティング部門に更新をお願いするという手続きが必要になる。当時のボーランドは、どこの会社もそうだったように、各国で別々に持っていたWebサイトを統一して、グローバル化を推進していたところだったので、いろいろと調整も必要なため、DevCo側のWeb更新には、結構時間を必要とした。

自由になるWebサイトがないというのは、積極的にメッセージを発信する場がないということであり、この混迷する状況にあっては相当痛かった。そこで、当時多言語対応を進めようと改良を進めていたBDN(Borland Developer Network:当時)の作業を手伝って、とにかく日本語での情報発信ができるようにしてしまえないかと考えたのだった。

BDNの国際化は、デビッド・インターシモーネの部下であったジョン・カスターが中心になって行っていた。彼とともに、各国のデベロッパーコミュニティから何名もの開発者がこのプロジェクトには参加していた。

Jkaster

こちらは3月のイベントに来日したときのジョン・カスター

この当時開発していたサイトは、現在のものの原形となっていて、それ以前のものとは、管理形態が全く違っていた。基本的にユーザーが自分で投稿する形式を採っており、これは我々のようなローカルコンテンツを掲載したい場合にはうってつけだ。現在では、かなり細かいロールを定義できるようになっていて、例えば、コミュニティのユーザーが投稿したものを、レビュー権限のある社員やコミュニティメンバーがチェックして、最終的に公開権限のある社員が公開ボタンを押す、といったことができる。

こういった細かい定義ができるようになったのは、しばらく経ってからだったと記憶しているが、当時でも自分で記事を投稿して、ジョンに公開してもらう、というスタイルでやっていたので、基本的な機能はすでにあったのだろう。

BDNの準備作業は、4月中にほぼ目途がついてきて、月末頃には、ベータ版の社内レビューなども始めていた。オンラインの情報発信の場はなんとかなりそうだと感じ始めたころに、次の一手、つまり、自分たちの状況、そしてこれからの展望を、直接語りかける場を作ろうと考え始めたのだった。

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