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ライヒ的なブルックナー、第一印象邪道

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先日、久しぶりの大学時代のオーケストラの同期に会った。今もずっとどこかのオーケストラに参加して楽器を演奏しているというのも希少なようで、趣味が高じて楽器職人の世界に足を踏み入れた一部の匠は別格として、同じ趣味を何十年も継続するというのは難しいらしい。

やれ好みのブラームスは何番だ、なんてどうでもいい話で盛り上がりつつ、そういえばブラームスなんてオーケストラに入るまで、そんなに好んで聴かなかったよな、と思い出した。ブラームスは、とにかくアマオケでは人気がある。まったく、演奏する立場になると、好みの幅も広がるものだ。

学生時代に、これまでまったく聴いたこともなかったのによく聴くようになった作曲家といえば、ブルックナーだ。直接的な理由は、身近にブルックナーのことを「ブルックナー先生」と呼ぶ、大のブルックナー好きがいたからなのだが、恐らく彼からするととんでもない邪道な理由から、好んで聴いていた。

初めてブルックナーに触れたのは、交響曲第8番のスケルツォだけを、大学オケ主催の室内楽演奏会でやったときだ。ブルックナーの交響曲をやるのに、なんで室内楽なんだなんてツッコミはご法度だ。ブルックナーはおろか、ショスタコービチの7番もやったことがあるし、バルトークの弦チェレまで取り上げた。要は、好きな曲を好きなメンバーでやれるお祭りだ。

このとき自分は聴く側だったのだが、非常に鮮烈な印象を持った。スケルツォの出だしは、弦楽器の刻みで始まり、ヴィオラとチェロが譜例のような角ばった旋律を弾く。

譜例:

そして基本的にすべての音楽は、ほとんど4小節の反復によって進行する。先入観を一切排除して聴くなら、それはスティーブ・ライヒの反復音楽のようでもあり、心地よい。実際、木管楽器パートなどは、非常に機械的な反復音のごとき音形を奏でるようになっており、例えば、これをリミックスしてみれば、ライヒ的な世界に早変わりする。

この種の反復音楽は、とにかく耳につくのが特徴なのだが、恐らくブルックナーのそれは、その要件を十分に満たしていると思う。参考までに、MIDIファイル をどうぞ。

だがこれは、あくまでも邪道解釈なので、ご注意を。

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