オルタナティブ・ブログ > Allegro Barbaro >

開発ツールビジネスの再生に格闘。マーケティングの視点で解説

産業空洞化に重なる実装経験不足の懸念

»

先日「将来アーキテクトをめざす若者は、プログラミングを経験したほうがいい」という趣旨の発言をしました。日経パソコンの記事によると、熱弁をふるったことになっておりますが、たしかにふるったかも。

記者会見でのこの発言には、「ボーランドのALMは、設計や管理が大事っていってんだから、熱弁は困るよ~」と、まあ半分冗談交じりに本家からひとことありましたが、「CaliberTogetherを使うアーキテクトも、若いうちはTurboで実装を勉強しよう」というメッセージなんだから、矛盾しませんって。

実はこの話題、前からずっと感じていて、今回の発表でDavid八重樫、藤井が三者三様の表現をしたものの、共通した認識を持っていたように思います。ソフトウェアは、コードがなければ動かない、これは当たり前のことですが、プログラムがどのように動いているかを理解するために、言語は何であれ、自分でプログラミングコードを書いてみるのはいい経験です。

多くの業種では、下積み何年、というかたちで現場を経験してから、それぞれの専門を活かした職種に落ち着きますが、ソフトウェアだけ、現場をすっとばして、かっこいいアーキテクチャを語れるはずがありません。ソフトウェア開発がどんなに抽象化されていっても、ソフトウェアそのものがコードで動いている限り、コードについての理解なくして確固たるものは作れません。

現在、日本をはじめとするIT先進国で懸念されているのは、こうしたコード離れの現状を後押しする、オフショアなどの流れです。実装部分はインドや中国など海外で、ということになれば、日本国内では、その管理や設計だけを担当するようになります。しかし、実装についての理解がなければ的確な管理もできませんし、いざというときのトラブル対応もとんちんかんなことになりかねません。

実装技術が完全に海外に流出した時点で、はたして日本国内にソフトウェア開発技術というものが残るのか、もちろん、そんな完全移管のシナリオはありえないとは思いますが、ちょっと恐ろしくなります。

元ハード屋の八重樫いわく、「かつての製造業が、同じように海外に生産拠点を移して空洞化したときには、まだ金型や部品など、産業の素材技術は日本に残していた。だから復活できたが、はたしてソフトウェア産業にはそういうものがあるか?」

そのときには、「いや日本には、Turboで育った世界に誇るソフトウェアエンジニアがいるさ」と言いたいものです。

Comment(5)